見:元町映画館
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多分2017年の年の瀬に『ハッピーアワー』を見て以来の元町映画館なので、前の日に見た『急に具合が悪くなる』に続いて2日連続濱口竜介に縁がある回だった。『急に具合が〜』は介護と末期ガンを巡る映画、今日は障害者の一生の映画。全然別物じゃないよねえ、という気持ちになりながら見ていた100分だった。
このドキュメンタリー映画は『どうすればよかったか?』チームが制作の映画。あの映画とは全く逆の障害者の人生を映し出す映画なので、こういうのを撮りたかったんだろうと思うと同時に、当事者家族だった藤野さんは複雑な思いも持っていた気がする。しかしそれが人生の難しさなのかもしれない。誰か個人が悪いとかそういうのではない、もっと抗えないものの存在があるとも思った。それは障害者差別であり女性差別である(複合差別、インターセクショナリティ)と同時に、昨日の映画でも描かれていたような資本主義の問題、つまり生産性や効率性から遠い存在を暴力的に排除する構造がこの社会の前提になっている、という事だと思う。
内容について。安積遊歩の一代記を概観することで、障害者への「眼差し」を見ていく一本となっている。当事者としても活動家としても著名である(若い頃から本も多く書き残している)ことを前提としつつだが、有名であっても一人の車椅子を利用する身体障害者でしかなく、その立場がいかに弱いものだったのかということをバスや電車の乗車を巡る闘争の映像が見せてくれる。それらの闘争の積み重ねがなければ社会が変わらなかった、という事実を見せつけるのである。
たしかに社会は変わっている。しかしそれは、すべての人によって望ましい変化とは言えない。遊歩は後に結婚し、宇宙(うみ)という一人娘を設けるが彼女もまた低身長で身体障害という、母である遊歩に非常に似たパーソナリティを持っていた。東日本大震災後に地元の福島を離れ、家族はニュージーランドに移住する。そして宇宙はNZに残って「障害者の女性研究者」というフィールドを切り拓こうとする。障害者の研究者は世界的にも少ないが、女性となるともっと少ない。だからわたしがその一人になるのだという決意は、母である遊歩とは異なる闘争を選択した結果と言えるだろう。
逆に言えば、母の時代が終わっても(撮影当時には既に遊歩は前期高齢者である)障害者は闘争を続けなければならない。この映画においても障害者という属性に焦点が当たるのは、まだまだ社会の中でマイノリティだからである。マイノリティだから、社会の中で生きるのが楽ではない。楽ではないから路上に出て存在をアピールしたり、人前に出て講演したりする。遊歩の時代が終わってもまだ、終わらない闘争を続けなければならない現実をこの映画は突き付ける。
とは言え、とは言えこの映画がいいのは一貫して楽観的に、ユーモラスに作られているところだ。それは遊歩の生き様とも言える。快活で明るいのはそう演じている可能性もあるが、暗くて静かな存在として生きるのはまっぴらごめんだったのだろう。なんとかなるかどうかはわからないが、なんとかする。仲間を集めて、なんとかする。だから遊歩の人生に「どうすればよかったか」という問いは恐らくない。あれをしたり、これをしたりして常に動き続けた人生だから。
長い停滞を映し出した『どうすればよかったか?』よりも一貫して明るく、しかし強かに闘い続ける『遊歩』も、主人公が生きた時代はほとんど同じなのだ。障害の種類が違うが二人ともほとんど同じ時代を生きた女性であるはずなのに、それなのにこれほどまで人生の結果や家族の形が大きく違ってしまうこと。二つの映画を両方見てなお、障害者の生きる(てきた)現実のシビアさを、噛みしめることができるだろう。
ちなみに自分が安積遊歩の名前を最初に知ったのは『生の技法』(安積純子名義で執筆)だった。故・立岩真也は自分と同世代でこれほどパワフルな障害女性がいたことに惹きつけられてきた一人だったのだと思う。読んだのは10年以上前になると思うが、いま一度読み返したい一冊でもある。

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