ホン・サンス映画11本目。相変わらずミニマルな人間関係、狭い移動範囲、食事の場面の多さと会話劇、という演出はいつものホン・サンスだが、この映画の構図はこれまでとはかなり毛色が違っていて面白かった。一種のコン・ゲームというか、ミンジョンという信頼できないヒロインを置くことで観客をだましにかかっているのである。
ミンジョンとベッドで口論してしまったヨンス。会わないほうがいいと言ってミンジョンはその場を立ち去る。傷心のヨンスの耳に入るのは、ミンジョンの情報だ。しかもミンジョンはいろいろな男と会っているらしい。「そのミンジョンは本当にミンジョンなのか?」がこの映画の最大の問いである。
ヨンスにとってのミンジョンは純粋な女性として語られる。ある日痛飲しながらミンジョンへの愛をそうやって語るヨンスのほうがよほど純粋に見えるが、そうではなくてミンジョンこそが純粋なのだとヨンスは強く主張する。この主張はつまり、ヨンスの中にあるミンジョンこそがミンジョンであってほしいという願いなのだろう。もちろんそうした感情は精神的な束縛であり、ミンジョンは「誰の所有物でもない」のだから、ヨンスの感情は独りよがりとも言える。
他方で、街に出没するミンジョンはミンジョンと名乗らない。ミンジョンには双子の妹がいて、自分こそがそうなのだと語る。姉ミンジョンと違い、天真爛漫に笑顔を振りまく自称妹ミンジョンは「かわいい」存在だ。自分のそういったスタイルが男ウケすることも自覚している。その上で、様々な男と関係を作ろうと企むのが、自称妹ミンジョンのキャラクターだ。顔かたちはよく似ているが、それ以外がまるで違うと言って良い。
そんな全く違うキャラクターをナチュラルに演じ分けるイ・ユヨンがすごいのは言うまでもないが、この映画が突き付けるのは結局のところ「かわいらしさを振りまく女と、誘惑される男の脆さ」なのだろうと思う。基本的にホン・サンスの映画では女が男に対して優位だ。強い女もいればそうではない女もいるし、自己主張の強い女もいれば何を考えているか分からない女もいる。ただ基本的にホン・サンスの映画のベースには、男に対して女が優位に立つ異性愛を演出したいという欲望があるように思う。
その意味では、自称妹ミンジョンというキャラクターは典型的な「モテ女」なわけだが、逆に自称妹がそのような振る舞いを見せることで姉ミンジョンの純粋さは守られることになる。ヨンスは自分の好きなミンジョンが変わらずあることに安心するわけだ。もっともこれは、「本当に双子の姉妹だったなら」だが。
いつもどおりこの映画が明確な結論を出すことはない。本当に妹だったかもしれないし、幽霊やドッペルゲンガーかもしれないし、あるいは解離状態(姉も妹もなく、どちらもミンジョンだが異なる人格が表出した)だったのかもしれない。いずれにしても、実態のつかめなさに翻弄される男たちの様態こそが、(性格の悪い)ホン・サンスの狙いだったことはよく分かる映画だった。
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