見:ホール・ソレイユ
ソレイユにしては珍しく4週目になっても上映が続いており(パンフレットが完売するほどには人が入っているのだろう)タイミングがとれたので見に行ってきた。音楽をモチーフにした映画は劇場で見るに限ると思っているが、実際に見に行ったのは単純に正解だと思う。
映画の中ではビートルズの楽曲が膨大に使われているので(同時にビートルズ以外のUKの音楽が使われているのもよい)それだけでライブ感があって楽しい。さらに展開が進むごとにビジュアルを全面に押し出してくるのも面白かった。ソーシャルメディアを利用したマーケティング、ファンとのコミュニケーションなど、ビートルズというある種オールドなアイコンに対して現代的な立場から見つめ直すのは新鮮な試みだったように思う。
12秒間の前世界的な停電と自転車事故を経て、アマチュアミュージシャンのジャックは自分以外の誰もがビートルズを知らない世界にやってきてしまう。一種の平行世界ものであり、ビートルズもいなければコカ・コーラ社もない(なのでひたすらペプシコーラを飲んでいる)し、シガレットという概念もない、不思議な世界。だがこれまでの友人や、幼馴染でジャックのマネージャー兼運転手で、本作のヒロイン役でもあるエル(エリー)との関係は続いている。そんな中でジャックが思いつくのは、彼の歌と演奏でビートルズを「全世界的に布教」することだった。
ビーチで友人たちに披露した「イエスタデイ」や、両親に自宅で披露した「レット・イット・ビー」など、多種多様なビートルズソングが使われている。それを最初は弾き語りとして演奏していたジャックも、彼の作った自主制作CDが話題になるにつれ、少しずつミュージシャンっぽくなっていく。身なりをそれらしくしたり、パフォーマンスを磨いたり。そして、エルとは距離を置いたりして。
そういうわけで後半はジャックがスターダムにいかにのし上がっていくかより、いったいエルとの関係はどのような形で着陸するかばかりを気にしていた。分岐点はいくつかあったが、そのどの分岐点においてもジャックはあいまいな態度というか、なよっとした態度でしかエルに気持ちを示せない。これはおそらく、夢を追いたいという自分の欲求と、エルへの愛情との間でうまくバランスがとれなかったからだろうなと感じたが、いずれにしてもなよなよしてるジャックと、気持ちをはっきり言ってくれずにイライラしているエルが非常に対照的に映る。だからこそエルはジャックを一度大きく突き放す。「あなたは私とは違う」と。
夢を追うか、愛する人を選択するか。あるいはいずれもか。こういうことを考えていると、これは一種の『ラ・ラ・ランド』の変奏だなと思った。もちろん『ラ・ラ・ランド』と同じような結末には向かっていかない。『イエスタデイ』はどちらかというと、視聴者が知っているもの(ビートルズがかつて存在したこと)と、映画の中の多くの人たちが知らないこと(ビートルズの存在)とのズレを楽しむものであり、ジャックだけが知っている真実はいつ、どのような形で映画の中の観客に告げられるのかを楽しむ映画だった。つまり、ある程度結末は見越した上で楽しむものだと言ってよい。
でも、ジャックとエルとの関係は違う。これは結末ありきの形ではなく、いくらでも結末を分岐させることが可能だったはずだ。それでもこの結末に至ったのは、脚本が『ラブ・アクチュアリー』のリチャード・カーティスだったかもしれないし、愛情は簡単には失われないという表明だったのかもしれない。
いずれにせよ、エル役のリリー・ジェームズは最後まで可憐で美しく、魅力的な存在だった。そういう存在を演じ続けた。それがこの映画にとって、素晴らしい音楽の要素とは別の、幸福な形だったと思う。
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