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ホン・サンス映画9本目。今まで見た中では一番長くて129分の長さを持つ映画で2006年とやや古い映画が、展開としてはホン・サンス映画でよく見る光景が繰り出されている。少なくとも2006年には映画へのアプローチが確立していたと言うべきか、あるいは同じようなアプローチをマイナーチェンジしながら映画を作り続けている人、とでも言うべきかもしれない。
前回見た『よく知りもしないくせに』ではメガネをかけた細身でクズの映画監督を演じていたキム・テウが今回も主人公を務める。と思ったらそれは前半までで、後半は全くでてこないという筋書きだった。映画監督のチュンネの後輩チャンウク役をキム・テウは演じているが、今回は素直で真面目で、悪く言えばあまり面白みのないキャラクターとして登場する。そして後半には消えていくため、構成上も「印象の薄い」役回りである。
チャンウクの恋人であるジュンネとの3人で食事をとったりお酒を飲んだりしているうちに、ジュンネはますますチュンネに興味を示す。そして……というホン・サンスにはよくある三角関係が始まるのが前半部。しかしチャンウクは退場してしまう。三角関係の一つの角が失われるということは新しいカップルが成立するのかというと、そうはさせない。やはりクズな映画監督であるチャンウクはビーチで出会った若い女性を口説いてベッドに持ち込んでいくのだ。
つまりこの映画は前半部では男男女の三角関係を描くが、一人の男が退場して一人の女が途中参加することで男女女の三角関係へと構図を変えていく。その上で、あくまでビーチで過ごすひと時を描く。つまりこの恋は長続きするものではないことは、あらかじめ予見されるわけだ。長く続かない恋を、しかしこれもお得意の長回しの会話劇を多く挟みこむことで、体感として長く感じさせる作用を持っている映画でもある。
前半は特にスローな展開だから内容はそれほど詰まっているわけではないのに、2時間以上のボリュームになっているのは会話を多く挟みこむことだ。寡黙で自己主張の薄いチャンウクが退場して新たに女性が一人加わることで、おしゃべりな人が自然と多い映画になっている。とはいえ、やはり「語りに落ちる」姿もちゃんと描いている。寡黙な人を好ましく書かないが、かと言ってしゃべりすぎる人も好意的には描かない。この絶妙なバランスについては、『正しい日 間違えた日』の間違えた(wrong)バージョンを思い出しても良いだろう。
チャンウクに抱かれた二人の女性が最後に食事をとる場面もいい。いがみ合うわけでも慰め合うわけでもない。ただお互いに言いたいことを言って別れる。もちろん程度にはよるが、『夜の浜辺でひとり』のヨンヒよろしく、ちゃんと自分の言葉で話す人にはホン・サンスは好意的だなと、なんとなく思ってしまう映画でもある。
◆関連エントリー
・薄っぺらくて饒舌なだけでは ――『よく知りもしないくせに』(韓国、2009年)
・「物語が始まる」までの遅さ、威風堂々のこっけいさ ――『教授とわたし、そして映画』(韓国、2010年)
・ループするけど終わりは来るし終わらせないといけない ――『次の朝は他人』(韓国、2011年)
・まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)
・海辺の風景を反復する、灯台を探して ――『3人のアンヌ』(韓国、2013年)
・何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)
・ヒジョンの密かな企みについて ――『正しい日 間違えた日』(韓国、2015年)
・逡巡する、タバコを吸う、声を上げる ――『夜の浜辺でひとり』(韓国、2017年)
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