見:イオンシネマ綾川
少し前に見た『CLOSE』も思い返せばひどく純文学的な映画、つまりストーリーによるカタルシスよりも人間を描くことにとにかく注力した映画だと感じていたが、本作『アンダーカレント』も『CLOSE』とは全然アプローチは違うものの、似たような感慨を持った。「分からない」という言葉が何度も出てくる映画は、その時点でひどく純文学的ではないか、と。
真木よう子演じる主人公のかなえが銭湯の跡継ぎ、という時点で日本映画的だなと感じる。銭湯が舞台であるということは、東京を舞台にしながらもある特定のエリアの人間関係しか描かれない。もっと言うと、かなえの行動範囲もさほど広いものではないことが予想される。銭湯のある住居が自宅兼職場になっているため、積極的に行動をするのは飼い犬の散歩くらいだが、そのルートも映画に登場する風景を見ているとほとんど毎回同じである。それくらい、日常に根差しており、物語性は薄いことが予想される。
そのため、井浦新演じる堀という男が、重要な外部の役割を担うことになる。人手、これははっきり言及されてはいなかったがおそらく男手が必要だったかなえの銭湯にとって、ボイラーや危険物などの資格を持つ堀の存在は極めて有用である。その堀は銭湯組合を通じてかなえの面接を受けることになるが、どこでもいいわけではなく、かなえの銭湯を名指しして面接に来たという。つまりこの外部から来た謎の男は、明らかにしないにもかかわらずはっきりとした理由を持っている、ということが伺えるのだ。
このように、「語られない他者の本心」についての関心が、この映画を進行するための軸として機能してゆく。かなえには大学の同級生でもあった夫・悟がおり、悟と共同で銭湯を運営していたものの、ある日悟は急にかなえの前から姿を消す。悟もまた、はっきりとした理由を持っているはずなのに「語らない男」なのである。他方、それではかなえの場合はどうなのだろうか? かなえは自分のことを他者に対して「語ってきた女」なんだろうか?
彼女もまた、ある過去を隠しているがゆえに「語れない女」となっていることが映画を通じてわかってくる。映画中盤のある事件をきっかけにかなえは過去に潜る(文字通り、水中に沈む描写が何度もリフレインされる)わけだが、「語れない女」の過去にあるのは傷であり、トラウマである。『CLOSE』で主人公の少年が負うことになるトラウマとかなえのトラウマは、かなり近いところにある。
しかしアプローチは違う。『CLOSE』は大人を頼ることもできず、少年がもがきながら生きていく様子が力強く描かれている。この映画のかなえの周囲にはリリー・フランキー演じる私立探偵や、銭湯の従業員、近くに住んでいる友人など、今のかなえのことを知っている大人は何人かいる。ある人をのぞいて誰もかなえの過去を知らないし、かなえは身近な人にその過去を話さない。しかし自分一人で向き合うには過去の傷が重たすぎる。だから頼っていく、おそれながらも。
リリー・フランキー演じる探偵は見るからにあやしく、リリー向きの配役だなと思っていたが意外や意外、この人物が脇役ではなく重要な役割を背負っているのである。しかし人生というのはそういうもので、何も親しい人や良く知っている人が常に自分にとって重要なわけではない。たまたま知り合ったよく知らない人が重要な役割を果たすことだってある。そうした偶然性が生んだコミュニケーションがかなえを、あるいはかなえのような傷ついた人を、救済することが可能なのかもしれない。
その意味では、かなえという一人の女性の回復のプロセスを静かに見守るカウンセリングのような映画でもある。「語ら(れ)ない」と「分からない」から始まるやりとりを、最初から最後まで静かに追ってゆくカメラワークも非常に優れていた映画だった。
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