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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:ソレイユ・2

 2018年に公開されたNetflix製作、ポール・グリーングラス監督の『7月22日』を配信後すぐに見て、強く印象に残った映画となった。ウトヤ島での生存者の再生と苦悩、そして犯人であるブレイビクという男の憎悪を、一つの(事実をベースにした)フィクションとしてドラマチックに描いて見せたと感じた。翻って本作である。"U July 22"というこちらもシンプルなタイトルで、97分という短い映画である。そしてその大半は、カヤという一人の少女を中心に展開されていく。しかもワンカットで、である。

 率直に、どちらが映画として面白かったかと問われれば断然グリーングラスの方だろう。映画を一つのまとまりのある物語、フィクションとしてとらえるならば、被害者側と犯人側それぞれに濃く密着内容と終盤での法廷のやりとりなどは、印象に強く残る。逆に本作は、そういったドラマを一切排除していることで成り立っている。パンフレットを読む限りセリフはアドリブではなく脚本に沿ったものであるらしいが、この映画の持つ緊迫感たるや錚々たるものである。

 その緊迫感において中心となるのはカヤとエミリエという姉妹だ。優等生タイプで男子との政治的なディスカッションでも引けをとらない。と同時に、仲の良い女友達を大事にし、ややだらしない妹にはしっかり小言を言う。後に姿の見えないブレイビクに追われながら語る将来の夢は国会議員であると語るあたり、親の立場からするとあまりにもできすぎた、理想の娘だろう。

 もっともカヤとエミリエもフィクションの存在で、実在はしない。ただ、労働党青年部のサマーキャンプという性質を考えると、多数のカヤやエミリエのような少女たちがあの場にいたことは容易に想像できる。ブレイビクに追われながらテントへ戻りエミリエの姿を探したカヤのように、兄弟や姉妹、あるいは仲の良い友人同士でキャンプに参加したメンバーは、必ずしも自分だけが生き残りたいと思っておらず、身近な親しい人を救いたいという正義感にあふれていたのだろう。

 カヤを突き動かすのもそういった正義である。しかし正義は、無差別な銃乱射の前にはあまりにも無力である。・・・・・・と思っていたが、本当にカヤは最後まで無力だっただろうか。ネタバレを承知で書くが、映画の本編で描かれるのは、逃げきれなかったカヤの姿と生き残っていたエミリエの姿だ。ずっとエミリエを探していたカヤが狙撃され、エミリエが無傷で生き残っているという結果は残酷なものだ。

 ただ、事件前は姉妹喧嘩をしていた二人も、この場においてはそんなことをしていられない。事件によって姉妹関係が修復されたとするなら、あるいは、これが本来の姉妹の関係だったのだということならば、悲しいとはいえなんと尊いことなのだろう。

 72分のガンシューティングを観客にリアルタイムで追体験させることがこの映画の醍醐味であると思っていた。それは実際に間違っていない。ただ、多数の若い役者を配置しながら、徹底的にカヤに向き合い続けたこと。エミリエが見つからないことをiPhone越しの電話で母親に泣きながら声にならない声で嗚咽を漏らしながら通話するカヤの姿が、目にも耳にも焼き付く。

 生存者の再生と葛藤を一つの大きなヒューマンドラマとして描き、かつブレイビクとの対話の可能性を探る社会派の作品として完成させたグリーングラス作品と異なり、エリック・ポッペはもっとミニマムな親密さに目を向けた。そこが、本作でもっとも評価されるべきだと思う。映画のパンフレットにはグリーングラスと比べて本作を持ち上げるようなライターもいたが、そういう問題ではなく、どちらもノルウェーで起こった惨劇を題材にした映画として個々に評価したほうがよい。そうでなければ、どちらの作品も異なるアプローチで同じ題材を調理しているのだから、その味を正しく評価できない。

 優しくて正義感あふれて、壮大な夢を持つ少女。そんなカヤと、出来の良すぎる姉との関係にきっと苦慮しているんだろうけれど、そんな姉のことをただただ救いたいと無言で行動するエミリエの、姉妹二人の尊い関係がただただ美しくて、最後の最後に息をのんだ。正義と親密さが、排外主義と暴力に勝利した瞬間でもあった。
 
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