見:ソレイユ・2
7月に『マリウポリの20日間』を見て以来、体調の問題などもあって久しく映画館に足を運ぶ機会が遠のいていた。10月に入ってから山田尚子監督の『きみの色』を見て、そしてこの映画を見られたのは純粋に良かったなと思う。本作を撮った呉美保監督作品ははじめてだが、『そこのみにて光輝く』や『きみはいいい子』などを撮って来た監督と知って期待感が持てたし、『きみはいい子』以来9年ぶりの長編映画というのも驚きだった。ストーリーも演出も、キャラクターの造形も、ブランクを感じさせない丁寧な作りが最後まで一貫していたと思う。
原作者であり主人公でもある五十嵐大については、少し前に小説『エフィラは泳ぎ出せない』を読んで知った。小説でも東北に暮らす主人公が、18歳を機に実家と地元を離れて東京に出て、紆余曲折を経てライターになる、という点は共通しているので、フィクションであっても自分の経験を投影しながら書くタイプの人なんだなという印象と、障害者が健常者中心の世界の中で生きていくことの困難さを、健常者の視点で丁寧に書こうとしていることはよく分かった。
聞こえない両親を持つコーダ、つまり当事者家族という経歴を持つがゆえか、ありきたりな感動ものを嫌っているのだろうこともよくわかるし、同時に障害者の家族を他の家族とは全く違う何かとして書くこともおそらく避けたいのだろうと感じた。それは小説でも感じたことだし、この映画を見ても感じられたことだった。映画の話に戻ると、幼少期は聞こえない母親の通訳代わりを務めていた大が、やがて周囲の家族と自分の家族が違うことに気づいたり、反抗期の間にはそうした感情をさらにこじらせたり、という描き方がリアルなものに思えた。
とはいえ、息子と母親の関係性は往々にして容易なものではなく、母親の息子に対する思いと、息子の母親に対する思いがすれ違っていくことはごくごくありふれている。大が高校卒業後に定職につかずにフラフラとパチンコ屋に出入りしていても、母はそれを咎めることはしない。逆に一念発起して東京に行こうとしたときに初めて、母は抵抗する。東京に行け、と息子を追い出すように背中を押す父とは対照的でもある。でもこの対照性もまたありふれていて良い。母と息子の関係性と、父と息子の関係性もまた、往々にして重ならないものだからだ。
大にとっての東京という空間と、東京で出会う人たちは大の家庭環境のことをよく知らない(大が過去のことを話すまでは)。最初はその居心地良さを感じながら、同時に自分探しをしなければならない矛盾もある。彼が例えば大学進学で東京に出てきたタイプだったならば、もっと気楽に東京ライフを謳歌できただろう。でもこの映画はそうはさせない。大を簡単には生かせてあげないし、バイトではない仕事にありつくまでには時間がかかる。この時間がしかし、大にゆとりを作っているのだろうとも思った。パチンコ屋でバイトをしていなければ、大を飲み会に誘ってくれるような彩月とは出会えないし、ユースケ・サンタマリアが取り仕切るアングラ感の漂う編プロにもたどりついていない。そうやって大学生活とは違う形のモラトリアムを経験していく。
この時間と経験と、あとは塩竃と東京といった物理的距離こそが大を成長させることにもなっているし、大と母親の関係性を柔らかく包んでいるようにも見えた。近くにいるから伝えられないことも、電話や手紙だったら伝えられるかもしれない。「口下手」な性格は変わらなくても、時間が変えてくれることはある。祖父の死や父の病気といった、一見ネガティブに見える変化であっても、時間の経過は厳しさだけではなくて優しさとか温かさとか、そういったポジティブな感情を回復する手助けもしてくれるのだろうと思った。
普通に生きるとはどういうことか。自分たちのできることを取り上げないでほしいと、飲み会のテーブルを離れた彩月は大に伝える。存在や役割を抹消しないてほしい、ということなのだろうと受け止めながら聞いていた。彩月が大に声をかけたのは、大の優しさを否定したからではない。大の優しさを認めた上でなお、自分たち(ろう者)を抹消しないでほしいと伝えたかったのだと思う。この言葉はダイレクトに、母の存在を大に想起させたことだろう。そして、気づかない内に無意識の中で母の存在を抹消しようとした自分を。
翻って優しさとは何かを考えたときに、それは誰かに代わって何かを為すことではなく、誰かの存在を抹消せずにちゃんと存在を証明することなのだろうと思った。授業参観の情報を知らせないことが優しさではなく、母は授業参観に呼んで欲しかったという気持ちを汲んでやるべきだったのだ。とはいえ過去はやり直せるものではないから、過去できなかったことはできなかったこととして受け止めて、今を生きていければいい。終盤には様々な感情の余韻が溢れる映画だが、他方でそうした楽観さも際立っていたのが、この映画の最大の魅力ではないかと思う。
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