Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Amazon Prime Videofilmarks

 最初Jaihoで見る予定だったがJaiho提供でアマプラでも配信されていたため、アマプラで視聴したギョーム・ブラックのドキュメンタリー。この監督のことを全然知らなかったが、なるほどこういう風に撮るのね、という映像のスタンスについてはこの100分ほどのバカンスムービーを見ればよく分かると思う。少し前に見た『メクトーブ, マイ・ラブ』のようなただただ享楽的なバカンスというよりは、「長い休日」と言った方が良いのかなと思いながら見ていた。



 Amazonの紹介文には「パリ北西部のレジャー・アイランドで、自然に囲まれた夏のひととき。少年たちの冒険、美しい女性へのアプローチ、老人たちの懐かしみが交わり、愛と誘惑の物語が展開する」と書かれてあるけど、ここまで大げさな(愛と誘惑の物語)というほどのものが映像に収められているわけではない。特定の誰かを追ったドキュメンタリーならば「物語」がそこに生まれるのかもしれないが、ギョーム・ブラックが撮ろうとしたのはあくまで場所性であって、映像に映る人々はその場所に付随するものでしかないのではないかと思う。

 ゆえにこの映画において、「物語」はさほど重要ではないし、そんなものはないのではないかとも思う。むしろ多くの「非物語」が満ちているのがこの映画ではないかと感じた。例えば親という保護者なしで遊びに来たら「監視の大人たち」にイチャモンをつけられてしまう少年グループが序盤に登場するが、彼らがその後どうなったかはよく分からない。あるいは美女二人をナンパしようとする若い男子たちがいるが、適当な会話を数分続けたあと「引きがない」と分かるとあっさりその場を立ち去る。男子たちが立ち去った後の美女二人の会話が面白いが、だからと言って映像をそれ以上は引っ張らない。

 という風に、あえてこの空間を「物語化しない」ことをやろうとしているのだと解釈しながら見ていた。ただ、後半30分〜40分ほどの展開を見ていると違った側面が見える。それはこの「宝島」が非常に人工的な空間であるという点だ。確かに序盤から若い監視員は映像に登場していたが、彼ら彼女らは非常に「雑に働いている」存在であり、日本で言う所の「ワーケーション」の若者もいるんだろうなと思いながら見ていた。そうした映像を見た後、中盤ほどに挿入されるおじさんたちによる会議のシーンがなかなかに悲哀である。適当に働いている若者の裏には、頭を悩ませるおじさんたちがいるのだ……

 そして不意に挿入される昔話も、この「宝島」という空間を彩っている。遊びながら親や祖父母の歴史について語る若者もいれば、フランスで労働する難しさを語る黒人のおじさんもいる。宝島と題されたこの空間だけを見ていると物語はさほどないように見えるが、この空間を形成している時空間というメタ視点を複数導入することで、この映像は単なるバカンスムービーではなくなっているのだろう。

 その点でも、『メクトーブ, マイ・ラブ』とこの映画は対照的だ。フィクションとドキュメンタリーの違いはあるが、「享楽的な現在」しか映さない前者と、「画面を超えた時空間」を映し出そうとするこの映画。もちろんどちらがいい悪いではないけれど、とにかく疲れる構成になっている前者と比べると、この映画の試みは多くの人(というか映画好き)が気に入るのだろうなと素朴に思うところである。
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