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ひとつ前に見た『小説家の映画』は女性同士の友情ものだったが、今回のこれも女性たち(比較的若い)が多く出る映画。男たちの存在はかなり薄まっているが、女性たち交わす言葉の中には夫や恋人、まだ恋人ではない男、といった形で不在の男たちが複数いる。そうしたねじれ構造の中で展開される会話劇を楽しむ一本だと思った。
ここでいう「逃げた女」をストレートに解釈するならキム・ミニ演じる主人公だろうと思ったが、彼女がこの映画で出会う多くの人たちもまた女性である。彼女たちにもそれぞれの「逃げた理由」がありそうだ。よって、特定の誰かを仮定してもよいが、仮定しなくても別によいのではないか、というのが率直な感想。
大学時代の先輩や後輩に会いに行くというストーリー設定は、ホン・サンス作品んではありふれている。筋書きらしき筋書きをはじめから用意している場合はまれで、「とりあえず昔馴染みの人に会って、会話をさせてみる」ことで映画をスタートさせるのはむしろ定石だと言ってよい。その中でもこの映画の特徴は、男たちの影の薄さだ。
ひとつ前に見た『小説家の映画』も男たちの影が濃い映画ではなかった。しかし画面にはたびたび登場する。しかし今回見た『逃げた女』は画面にもほとんど登場しない。登場したとしても、ずっとカメラに背中を向けたまま会話を続けていたり、カメラの横からさらっと登場してすぐ終わったりと、ホン・サンス的な「顔を付き合わせて喋る」のはずっと女性たちだ。そうして喋り続ける彼女たちを見ながら「逃げた女」とは誰なのか?を考えることになるのである。
会話をする中で確認するのは、キム・ミニ演じるガミが口にする「夫の元を離れたのは初めて」という事実だ。「妻は夫のそばにいるべき」という価値観&規範意識を内面化したカップルとして5年間生きてきて、初めて夫から自由になったガミ。自由になりたかったとか、それこそ「逃げたかった」とはガミは一言も言わない。しかし、夫を本当に愛しているのか、という問いには素直にイエスと言えないのもガミだ。
ホン・サンスの映画をずっと見ていると、会話って何なのだろうと思う。ホン・サンスは一貫して「特別ではない会話」を描き続けていると思う。これを逃したらもう二度とないような、そうした会話の一回性や特別性にはむしろあまり興味を持たない。よく知っている人、あるいはよく知っていた人(過去の友人知人、先輩後輩)との会話の中で、会話をする前には生まれなかった感情を呼び起こそうとする。一回性や特別性がないかわりに、会話の中には常に話者の生きて来た歴史的文脈が導入され、話者同士の中に入り組んだ形で表れる。
出会う人たちに特別性がないとしても、何かいつもと違うことをしたい、とガミが思ったのは間違いない。3人との会話のあとに、ガミはどういう映画を見たのだろうか。ずっと誰かと話していたガミではなく本当に一人になった瞬間のガミを演じるキム・ミニの表情は、やはり特別なものとして輝いている。
◆関連エントリー
・二部構成、そして役割の二重性による攪乱 ――『映画館の恋』(韓国、2005年)
・スローで退屈な前半と、忙しくておしゃべりな後半 ――『浜辺の女』(韓国、2006年)
・薄っぺらくて饒舌なだけでは ――『よく知りもしないくせに』(韓国、2009年)
・「物語が始まる」までの遅さ、威風堂々のこっけいさ ――『教授とわたし、そして映画』(韓国、2010年)
・ループするけど終わりは来るし終わらせないといけない ――『次の朝は他人』(韓国、2011年)
・まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)
・海辺の風景を反復する、灯台を探して ――『3人のアンヌ』(韓国、2013年)
・何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)
・ヒジョンの密かな企みについて ――『正しい日 間違えた日』(韓国、2015年)
・ミンジョンというゴーストを追いかけて ――『あなた自身とあなたのこと』(韓国、2016年)
・問いを投げ続けるアルムの気高さ、美しさ ――『それから』(韓国、2017年)
・逡巡する、タバコを吸う、声を上げる ――『夜の浜辺でひとり』(韓国、2017年)
・男たちの不協和、女たちの寄り添い、そしてその後 ――『川沿いのホテル』(韓国、2018年)
・キム・ミニというユニークな変数 ――『草の葉』(韓国、2018年)
・何も始まらないまま映画は終わる ――『イントロダクション』(韓国、2020年)
・創作における自由、アクセントとしてのキム・ミニ ――『小説家の映画』(韓国、2022年)
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