見:Amazon Prime Video
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少し前までレンタルだったが、アマプラに入っていたこともあり久しぶりに見たホン・サンス。日本では新型コロナが5類に移行して間もない2023年6月に公開されているが、俳優たちが要所要所でマスクをしているのはコロナ禍に撮影が行われたことをおそらく意味しているのだろう。
イ・ヘヨン演じる小説家のジュニは行き詰っていた。もう小説を書けない、筆を折らないといけない。そういう話を身近な映画関係者や詩人に相談したり、友人たちと雑談をしたりしてはいたが、これといった突破口が見えたわけではなかった。そんな中、たまたま知り合ったのがキム・ミニ演じるギルス。彼女は映画俳優だが、彼女もある種の行き詰まりを感じている俳優だった(『夜の浜辺でひとり』の延長のようにも見える)。
ジュニとギルスの会話は、特別に中身があるわけではない。悩みを吐露する場面もあるが、全然関係ない場面でゲラゲラと笑い合う場面がある。この二人の会話のやり取りを見ていると、行き詰った時の突破口は「たった一つの冴えたやり方」とか「名案」が重要なわけではない。突破するための具体的なアイデアではなく、なんでも打ち明けられる友達のような存在がいることが重要なのかもしれないと思わせられる。
ジュニが小説家という設定のせいか、「物語」について語る場面が面白い。とりわけ、このジュニに「物語は大事じゃない」と言わせる場面はホン・サンスの自己紹介のようでもあるが、確かに物語を作ることだけが作家の仕事ではない。作家の仕事はまずもって文章を書くことにある。物語性の強い文章を書くのか、薄い文章を書くのか、あるいはこの中間を模索するのか。基本的には作家の自由だろう。だからこそ、「外野」(の男性)からあーだこーだ言われることにジュニはとても苛立っている。
これまでのホン・サンス映画なら、特に『夜の浜辺でひとり』のように感情を爆発させる場面を作っていたのかもしれない。しかし今回はその戦略をとらない。あくまで、ゆるいシスターフッドで乗り切ろうとするのだ。映画の中でアクセントとして機能するキム・ミニ演じるギルスを「うまく使う」ことで、外野の野次を無効化することに成功するのだ。黒いライダースジャケットを着たギルスは、これまでとはまた違うキム・ミニの存在感を示している。
モノクロ映画だが、一瞬だけカラーになる場面がある(予告編でも流れる)。なぜここだけをカラーにするのかというといくつか理由は考えられるが、ああここは色をつけたかったと思う瞬間なのは間違いない。そしてこれは「映画の映画」でもある。だからこそ、モノクロをカラーに転換する場面のやりとりにも注目してほしい。キム・ミニは今回主人公ではないのだが、脇役でもない。彼女もまた、目立つべき存在の一人なのだと。
◆関連エントリー
・二部構成、そして役割の二重性による攪乱 ――『映画館の恋』(韓国、2005年)
・スローで退屈な前半と、忙しくておしゃべりな後半 ――『浜辺の女』(韓国、2006年)
・薄っぺらくて饒舌なだけでは ――『よく知りもしないくせに』(韓国、2009年)
・「物語が始まる」までの遅さ、威風堂々のこっけいさ ――『教授とわたし、そして映画』(韓国、2010年)
・ループするけど終わりは来るし終わらせないといけない ――『次の朝は他人』(韓国、2011年)
・まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)
・海辺の風景を反復する、灯台を探して ――『3人のアンヌ』(韓国、2013年)
・何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)
・ヒジョンの密かな企みについて ――『正しい日 間違えた日』(韓国、2015年)
・ミンジョンというゴーストを追いかけて ――『あなた自身とあなたのこと』(韓国、2016年)
・問いを投げ続けるアルムの気高さ、美しさ ――『それから』(韓国、2017年)
・逡巡する、タバコを吸う、声を上げる ――『夜の浜辺でひとり』(韓国、2017年)
・男たちの不協和、女たちの寄り添い、そしてその後 ――『川沿いのホテル』(韓国、2018年)
・キム・ミニというユニークな変数 ――『草の葉』(韓国、2018年)
・何も始まらないまま映画は終わる ――『イントロダクション』(韓国、2020年)
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