見:JAIHO/filmarks
2012年に『ホン・サンス/恋愛についての4つの考察』として公開されたらしい1本。前回見た『教授とわたし、そして映画』もこの4部作に含まれている。残り2本も見る手段があるなら見てみようと思った、せっかくなので。さて本作『次の朝は他人』も非常にミニマルな映画で、ミニマルな会話劇と恋愛描写の反復である。とにかく反復する、しつこいほどに。
真冬のソウル。今は大邱の大学で教鞭をとる映画監督のソンジュンは、先輩のヨンホに会うためソウルに出て来たがなかなか連絡がつかない。そこで2年前に別れた元恋人のキョンジンのアパートを訪ね、一夜を過ごし、そして別れを告げた。ようやく先輩と再会出来たソンジュンは、ヨンホの後輩女性ボラムと4人で飲み、2件目に"小説"というバーに流れた。そして、その店のオーナー、イェジョンを見た瞬間、ソンジュンは彼女がキョンジンにそっくりだったので驚く。その後、再びバーを訪れたソンジュンは、買い物に行く彼女と外に出て突然彼女にキスをした。その後、2人は一夜を共にするが、翌朝には別れることをお互いに知っていた…。
JAIHOのページからあらすじを拝借したが、約80分の中で描かれるのはこれだけである。ソウルに上京したソンジュンが(おそらく映画を学んでいた大学時代の)先輩のヨンホに会う。ヨンホに会い、そして別の女性も交えて酒を飲む。あるいは、ヨンホに会えない。ヨンホに会えない日にも、女性と会う。何日間ソウルに滞在しているのか正確な日数は分からないが、元恋人やバーの女オーナーなど、ソウルで出会う女性をとにかく口説き、一晩だけ抱く。そして別れる。それだけの映画である。
食べる、飲む、キスする、寝る。ほとんどこれだけの映画だが、ソンジュンが何者かは会話の中でしか明かされない。はっきりとしたストーリーがあるわけでもないので、会話一つ一つにも意味があるわけではない。酒が入った時の会話なんてそういうものだと言わんばかりに、飲んで、そして女に会い、別れるを繰り返す。飲んだ時の会話なんてすぐに忘れてしまうように、飲んだ後に抱いた女のことも忘れてしまう。いや、ソンジュンにとっては「忘れなくてはいけない」し「別れなくてはいけない」のである。
なぜなのか。一つは、最初に出会う元恋人であるキョンジョンの存在だろう。再会は果たすものの感動的なものではない。むしろ急に押し掛けた元恋人を前にしてキョンジョンが戸惑いを隠せない中でソンジュンを受け入れる、そのちぐはぐさが印象に残った。つまりこの二人は完全に「終わってしまった恋人」なのである。それでも感情のやりとりが残されているから二人は会話をし、そして一夜を過ごす。でも、それきりなのだ。それ以上先に進めないし、進んではいけないという自覚がソンジュンの中に強くある。
ソンジュンはいま映画を撮らない元監督であるが、ソウルでは監督として話しかけられる。話しかけられて「しまう」のであろう。そしてそのやりとりは、自分にとっては過去の場所として決別すべきだという思いを強くさせるのかもしれない。もう自分は映画を撮ってはいない、それでもこの場所に戻ってきてしまったというコンプレックス。
ソンジュンの表情がずっと冴えないのは、自分にとって失われた過去である街を巡礼していたせいだろうか。ソンジュンにとってソウルに未来はない。あるのは過去だけだ。だからここで終わらせないといけない。映画について旧友と語ることも、魅力的な女性たちとのやりとりも、これっきりにしないといけないのである。そしてそうした「失われた過去」を描くためにモノクロ映画にしたのは大正解だし、雪の舞う冬のソウルには情緒が満ちている。
「失われた過去」へのノスタルジーは普遍的な共感を生みそうだし、たまにはノスタルジーに溺れなければ「現実」を生きていくのは難しい。次の朝は他人、と思える覚悟があるならばノスタルジーは良薬になるのだろう。心の底からそう、思えるならば。
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