見:Amazon Prime Video
Info:filmarks/IMDb
もうすぐアマプラ見放題終了なので見ようキャンペーンの一環で視聴(今月3本目)。序盤から暗い映像が続くのと、狂人ダフィーの登場などホラー映画の導入かと思ったが、ホラーというより西湖スリラー的な要素が目立つ映画だった。タイトルからはすぐに想像できないが!
バックパッカーとしてタイを訪れたリチャード。歓楽街に出向くが、そこで遊ぶようなことはせず安宿に泊まる。そこで出会ったダフィーという狂人から手に入れた地図でたどり着いた「楽園」は、果たしてたしかに実在した。美しいビーチでの魚獲り、DIYで建設した小さなコミュニティ空間、鳴り響く音楽、大勢で楽しむビーチサッカー。そんな思い思いの時間を過ごす日々が続いていくのがこの映画の前半。
たしかに一見楽しい空間ではあるのだけど、サルという一人の女性が全体を統率するところみまず危うさを感じる。そして何より、外の世界から隔絶「されているかのように」見えるが、一見そう見えるだけで現実は異なる。生い茂った大麻を売って貨幣を稼ぐ必要があるし、稼いだ貨幣を持って月に1回は市場に出かけて「買い出し」をしないといけない。
つまり、生活は外の世界と隔絶しているけれど、経済的には外の世界に強く依存した状況がないとこの楽園は成立しないのだ。俗世を離れたコミュニティに住んでるのに、でもゲームをしたりシャンプーを使ってたりと、文明の利器を利用することをなかなか手放せない。だかれこのコミュニティのメンバーは本当の意味で自給自足をしている訳じゃない。そうなると外との繋がりは必要になる。でもそれが結果的に、コミュニティ崩壊の要因にもなる。
外の世界からの訪問者を完全に排除できない楽園は楽園と呼べるのか。そもそも主人公のリチャード一行も最初は外部からの訪問者で、偶然受け入れられはしたものの小さなコミュニティで多くの人間を抱えることはできない。つまり、始めから「崩壊の予兆」を常に抱えたコミュニティであったわけだ。コミュニティは作ることよりも維持することが非常に難しい。それはヒッピーの時代もそうだっただろうし、日本の学生運動の時代もそうだっただろう。アナーキーな組織を長引かせるのは容易ではないことは歴史が証明している。
後半はサメの襲撃や銃撃戦の発生など、楽園崩壊のスピードが急速に早まってゆく。ゆえにリチャードたちも楽園追放という形で楽園を立ち去るしかない。立ち去った彼の目に映った写真が、インターネット越しなのも面白い。逃げてきたはず俗世間では情報化社会が進展していて、いずれその波は楽園にも届く。そうなると、あの形でのコミュニティがますます成り立たなくなっていたはずだ
青春のきらめきと、欲望と、そしてその終わり。いつか終わるからこそ青春は美しいし、いつか終わるからこそ楽園が楽園たりえる。そう思わせる映画だった(人が何人も死んではいるが・・・)、とでも無理やり解釈したほうがよさそうなオチ。しかしこの映画の最後の演出が面白い。最後に俗世に帰ったリチャードはネットカフェでメールを開いているが、その中には楽園で映した集合写真が添付されているのだ。
まずこの映画はインターネットとスマートフォンがない時代の映画だと最初に感じた。だって紙の地図を燃やしたところで、グーグルアースにはおそらく島が映っている( 衛星写真で)。サルがどれだけ「もう人を増やしたくない」と思っても、情報化社会の進展はそのサルの願望をあっけなく破壊するだろう。
ただの青春の終わりではなく、「インターネット以前に存在した青春」の終わりを描いた映画だったのだと思う。だからこそ2025年現在からすると、よりまぶしく、より懐かしく見えるのも、いま改めてこの映画を見る面白さだったと感じた。
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