見:Amazon Prime Video/filmarks
filmarksのコメントを見ていてホン・サンスの名前を出す人が多かったのと、アマプラで見られるという事情も手伝って見てみた韓国映画。ちなみに監督のイ・ジェハンは本作が長編デビューのようで、『私の頭の中の消しゴム』(2004年)を監督したイ・ジェハンとは別の人らしい。
約2時間一貫して静かな映画だった。ホン・サンスに比べると登場人物はやや多い方だが、総じてミニマルな映画だと言ってよい。韓国のある小さな街に滞在するソフィー。そこで過ごした彼女の日々を、彼女の書いたブログを追体験的に読む、という形で映像化している。ソフィーの目線で描かれることもあれば、ソフィーではない韓国の人々の目線だけで展開する場合もある。必然的に、韓国語と英語のいずれもが登場する。
ホン・サンスよろしく食事と、そして会話の場面が非常に多い。序盤の民泊経営夫婦のように、激しいケンカもいくつか描かれる。ただし、そうしたぶつかり合いと同じくらい、丁寧な対話も重視している映画だった。そこが心地よくもあり、やや退屈でもあるが、よく知らない同じ町で過ごすというのはそういうものかもしれない。その点、外部からの訪問者であるソフィーに観客が感情移入しやすい構造にもなっているのがまず面白い。
とはいえ、ソフィーが何者かははっきりと明かされないのだ。それはあくまで、ソフィーの目線を使ってはいるが、「ソフィーの書いたブログ」を通して映像が展開されるだけであり、ソフィーが主人公として語り手を務めるわけではない。彼女が主人公というより、彼女のレンズがこの映画には重要なのだ。だからレンズであるソフィーは饒舌でなくて良い。彼女が見たもの、出会った人たち。そうした、レンズ越しの光景が饒舌であれば、ブログを書き進めることはできるからだ。
ただ一人だけ、書店主の男性との語りは印象的だった。そもそもソフィーがなぜこの街を訪れているのか、なぜ韓国にいるのかもはっきりとは明かされない。別の女性との会話で「帰る理由がないから」という会話はあるが、それが「韓国に残る理由」なのかどうかも不明だ。ただ一つ、男性の書店主と会っている時のソフィーがは急に主人公になるのである。自我と感情を持った、一人の女性になっている。ここにはおそらく、はっきりとは語らない「理由」があったのだろう。
とはいえ、それも一つの出会いであり、ブログ内の一つの記述に過ぎない。この映画は、そうした点でも非常にミニマルである。街で展開される日常と非日常に、ただ寄り添うだけなのだ。でも、それで十分映画になるでしょう? というのがこの「旅日記」のアプローチだったのだと解釈している。
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