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前回のブログにも書いたようにソフィア・コッポラは『ビガイルド』と『ロスト・イン・トランスレーション』しか見ていないので、もう1,2本何か見たいと思った中からセレクトしたのが今回の1本。『ロスト・イン・トランスレーション』のボブよりは少し若いが、「何もかもを手に入れたが孤独な映画スター」であるジョニーをスティーブン・ドーフが好演している。それよりも素晴らしいのは、『ビガイルド』でも起用されて印象的だったエル・ファニングだろう。
この前見た『ロスト・イン・トランスレーション』でやりたかったことをベースにしながら、しかしながら「偶然出会った他人」ではなくて「普段は別れて暮らす父と娘」のホームドラマに仕立てようとした映画だな、と思った。しかしながら「ドラマ」と言えるほど分かりやすいストーリーがあるわけではないし、好みは分かれるだろう。個人的にはしかし、「何も起きてないように見える日常の尊さ」をコッポラが描こうとしたことはとてもよく分かるし、喧噪と静寂が何度も往復される日常にこそ、それが失われた時の切なさにもきっと繋がっているんだろうなと思った。
スティーヴン・ドーフ演じるジョニーは売れっ子の映画俳優。すでに晩年になっていた俳優が主人公の『ロスト・イン・トランスレーション』とはやや異なるが、映画俳優という仕事への「倦み」があちこちから垣間見える年齢に差し掛かっているようでもある。お金はあるだろうから、ホテルの部屋に女性ストリッパーを招く遊びもできるし、ちょっと高級なレストランやカジノっぽい場所に行くこともできる。でもどう見ても、楽しそうな表情をしないのがジョニーなのだ。
売れっ子の彼にとって、「お金で手に入る幸福と快楽」にはほとんど興味を失っていることがよく分かる。これはサラブレッドの家系に育ったコッポラゆえの問題意識なのかもしれないし、もっとありていに言えば資本主義批判なのだとも思う。2010年という、リーマンショックの傷口がまだ閉じていない時期に公開された映画だけに、そうした見方をされていてもさほどおかしくはない。享楽こそが是なのではなく、享楽からはもう何も得るものがないと感じているのがジョニーだ。
ジョニーには別れた妻がいる。彼女の事情で一日だけ預かることになった娘クレオをエル・ファニングが演じている。1998年生まれの彼女は撮影時期におよそ11〜12歳だったと見られ、まだまだ少女らしいあどけなさを残しながら、自我の芽生えも十分見られる、いわば「おてんば」と言ってもいい年齢の少女を好演しているのがいい。まるで本当の父と娘のように、短く終わってしまう日常を楽しもうとする二人の姿を、カメラは静かに追跡する。
束の間の日常がいとおしいからこそ、長いドライブの果てに別れを経験する二人へのもの哀しさもあった。ジョニーが普段、別れた妻と過ごすクレオとどのようなかかわり方をしているのかは映画からは分からない。一般的な理解だと、養育費という名目で生活費の援助はしているだろうが逆に言うとそれ以上のかかわり方は乏しそうに見える。だからクレオと過ごす束の間に日常は一種のプレゼントのようなものなのかもしれない。
しかしながら、そうした楽しい時間には必ず終わりがくる。『ロスト・イン・トランスレーション』もそうだったし、『ビガイルド』もそうだった。映画的な美しい時間にはいつか終わりが来るのだ。そういうことをコッポラは繰り返しスクリーンに映し出そうとしているのかもしれない。
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