Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。




見:Netflix

 映画館に見に行けなかった映画を見ようキャンペーンの続き。若い女性を主人公に据えながら、恋愛とか恋愛じゃないとかの関係性を群像的スタイルで描くのは、この前見た『夜明けのすべて』にも通底している要素に見えたが、この映画はあくまで「恋愛できないわたし」を掘り下げようとする。そのため、三浦透子演じる佳純が痛々しくも見えてしまう。ただ、この痛さから逃げたり、痛さをおおいかぶそうとせず、ちゃんと自分がなぜ傷つくのかに向きい合ったという点でよい映画だと思った。ちなみに『ドライブ・マイ・カー』で強い印象を残した三浦透子だが、意外にも今回が映画初主演とのこと。

 佳純は「恋愛、結婚、セックスをしない」という生き方を貫いてきたコールセンター勤務の女性。音大出身で音楽の仕事を志していたが何らかの理由で挫折し、実家のある静岡に戻っていた。妹はすでに結婚しており、同居する母親は長女である佳純の先行きを不安視し、親同士の婚活の結果、お見合いに連れて行くことになる。母親に「騙されて」お見合いに行った佳純は、相手も同様の理由で来ていたことや、恋愛にさほど興味がないという共通点に共感し、次第に二人は接近する。ある旅行で相手からアプローチをかけられるが、当然佳純は拒絶する。その結果、二人の関係は終ってしまう。

 そういう生き方でいい、と他人が言うのは簡単である。重要なのは、本人が根本的な部分で自分の生き方を肯定することなのだろう。『夜明けのすべて』は周囲の人間の細やかな働きかけによって主人公二人の傷が少しずつ回復してゆく映画だったが、この映画はそうしたケアする/されるコミュニケーションが前面には出てこない。だが、それがこの映画の場合は上手くいっているのだろうと思った。

 例えばある日に偶然再会した同級生の真帆とのなにげない雑談や、音楽の道へと入るきっかけとなった父との二人の時間。あるいは、新しい職場である保育の仕事でのワンシーン。特定の関係性や、特定の場所を特別視しようとしない。家や職場や友人や、そうしたいろいろな要素が一人の人間の周りにあって、良い経験も悪い経験もして、その中で何を得ていくのだろうか、という多くの人に共通する日常の風景を重視している。

 佳純は過去に挫折している。だが、佳純を癒すのも、過去の人間関係であり、まだ残っていた音楽の情熱だ。いい大人が実家に帰って暮らすのはあまり居心地の良いものではないだろう。そういう時にインターネットに救われたのは自分だが、佳純はリアルな関係性に居心地の良さを見出してゆく。かつての自分がなぜ傷ついたのか、他方で今の自分はなぜ心地よいのか。そうした問い直しの日々こそが、佳純を前向きにさせていくのが良いし、三浦透子の自然体の演技が勢いに乗っていくのも見える。

 ちなみにこの映画にアセクシャルという言葉は一度も出てこない。間違いなくこの概念を意識して作られた概念だと思うが、概念から出発せずに佳純自身の言葉から出発していることがこの映画を、三浦透子がとても自然体で演じている佳純というキャラクターに親近感を持たせてくれる要因にもなっているように思えた。もちろん、概念から出発して説明するのが悪いわけでもない。あくまでそのチョイスをしなかったことで生まれたアプローチを個人的には評価したい。

 佳純の望むようなフラットな人間関係を構築するのは、相手が男女のどちらであってもそれぞれに難しい。難しいけれど、だからと言って自分の生き方を否定しなくていいし、自分は自分、という生き方を示してもいい。最後に少し登場するだけだが重要な役割を果たす北村匠海の目立たない感じも良かった。真帆演じる前田敦子にしてもそうだが、歌手出身の役者がが多い映画でもあった。

そばかす
三宅弘城
2023-06-17


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