Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。





見:Amazon Prime Video
Info:公式サイトfilmarks


 『氷菓』が京都アニメーションによって映像化されたときも「えらい古い原作を持ってきたな」と思ったが、まさか2024年〜25年にかけて、最初の1冊目が約20年前の原作を掘り起こすとは思わなかった。最初の『春季限定』が2004年、最後の『冬季限定』が2024年とかなり長い道筋の中で原作が積み上げられたきたが、『冬季限定』刊行から約1年後に映像化する段取りになっており(2クール目の後半部分)これもまた、かなりテクニカルな段取りが必要だっただろうなと思ってならない。

 小市民シリーズ。いや、まず突っ込むべきはそのタイトルであり、アニメとしてオリジナルのタイトルはなかったのか……とは思うものの、全編シネスコープ形式で作られていることもあってか、長い映画を見ているようなアニメになっている。全編通じて基本的にカメラは引きが多い。そうすることで、横いっぱいの画面を上手く使えるからなのだろう。重要なところでは寄る(たとえば2クールで瓜野が小佐内にキスしようとする場面)ものの、それは本当に稀である。

 さてこのアニメの見どころはというと、基本的には原作通りの筋をなぞっているだけにストーリーに対する指摘はほぼ原作の指摘になってしまうと思うが、分かりやすい形で少年少女の「悪意」を書いているところだろう。最後は成人になった犯罪者も登場するが、春〜秋にかけて遭遇した事件の犯人はすべて少年少女たちである、つまり少年犯罪と対峙するストーリーということだ。

 それはもちろん、「小市民」たろうとする小鳩と小佐内をそうさせない要因として機能するわけである。この二人が小市民になんてなれるわけがない、と。そしてこの二人の態度は、徹底的に視聴者の共感を拒絶しているとも言える。今時珍しい共感されない主人公とヒロインを用意することでネットには「イライラする」や「意味が分からない」といったワードが頻発していたのも面白い。複数の悪意が常に満ち満ちているアニメというのは、確かに気分がいいものではないだろう。

 さてこのアニメは2024年と25年に2度アニメ化することによって、中3の夏は2022年で、高3の冬が2025年(と26年の初頭)という構図に仕立て上げている。2024年の映像化の段階では2年生の夏までで終了し、25年春の映像化では2年秋から3年の冬(卒業直前の時期)までを描くことに成功しているわけだ。連続ではない、あえて幕間をとった分割2クールはここ最近のアニメ制作では常套手段になってきたが、多くの場合はそうしないと制作期間や制作費を十分に確保できないからだろう。

**************

 しかしこのアニメの場合はこの分割2クールを逆手にとっていることでアニメ内の時間とリアルタイム性を持たせただけではなく、「長い1年」を描く秋季限定編を分割2クール目の頭に持ってきているのが成功ポイントだと感じた。連続でこの22話を見せてしまうと、いくらか疲労感を伴うのではないかと思うからだ。少年犯罪に対峙しなければならない主人公たちには常に緊張感がある。古典部シリーズではおなじみだった日常の謎編もショートストーリー的に映像化されているが、それですらヒリヒリした緊張感がある。このアニメは長い間、緊張感を伴うことでようやく成立する。だからこそ、分割して良かったのだと思えた。

 春夏秋冬、それぞれに違った事件を追う。しかしながらそれ以上に、とりわけ小鳩が対峙しなければならないのは小佐内の「意図」だ。多くの場合それは「純粋な悪意」と言ってもよい。特に夏季限定編では、小佐内は完全犯罪に近いことをなしとげている。実際に彼女が処罰されるかどうかは別としてだが、犯罪を予感させる行為をいくつか行った小佐内の悪意を読み解かなければ、事件にまつわる謎を解いたことにはならないし、事件を終わらせたことにならないのである。

 この、意図を読み解く上での最大の困難が冬季限定編である。この最後の冬には珍しく小佐内の悪意は作動しない。もちろん全く作動しないわけではないが、小佐内の悪意を超えたところに事件の結末があるというのがポイントだ。そしてそのためにあえて中3の出来事を振り返らせることで、「長い3年間」を終わらせようとするわけである。こうした過去と現在を何度も往復する手法はとても映画的で、テレビシリーズのアニメでこれをやるのは容易ではない(1話あたり約25分ほどで終わってしまうから)。しかしこのシリーズの最後ならこれくらいのことはできるだろう、とトライした最後の冬でもあった。

 「純粋な悪意」は常に犯罪性を持つわけではない。しかしながら、小鳩にとってはいつだって立ちはだかる壁である。小佐内が小鳩の前に現れ続ける限り、二人が「小市民」になれる日はやってこない。そう、最初から最後までこの二人は逆説的な関係性なのだ。そしてこの先も、という余韻だけをはっきりと残して終わる瞬間に、『氷菓』の最終話が過る。その余韻を味わうための長い3年間であり、長い22話だったのだと思えてならない。










このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット