Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Netflix
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 ネットフリックスのオリジナルシリーズとして『セナ』というドラマが作られている(主演は『フェラーリ』にも出ているガブリエル・レオン)のが少し気になっていたが、フィクションを見る前にノンフィクションを見ておこうと思い、2010年イギリス制作のこの映画を見てみた。1994年、34歳の時にイタリアで亡くなったセナの生誕50年企画ということらしい。死後に姉が財団を立ち上げており、この映画でも頻繁に姉がインタビューを受けているので、弟のために人肌脱いだねーちゃんかっけ!!な映画でもある(と勝手に解釈した)。



 20代前半の80年代から頭角を現し、84年にF1のカテゴリーに参入したセナ。初めてチャンピオンになった88年ごろからの映像が中心となって映画が作られている。一度のチャンピオンでは当然飽き足らないセナは、強引なほどに勝利を求める。それを批判されることもしばしばあったし、マクラーレンで同僚だったフランス人ドライバーのアラン・プロストとの確執は当時からも有名だったと聞いている。この映画でも、プロストとセナの確執、レースでの優勝争いは一つの注目点となっている。

 それ以上に、つまりレースでの映像以上に使われているのがレース外での映像で、当時積極的に地上波中継していたフジテレビの映像も頻繁に使われているのが印象的だ。とりわけ、当時はシーズン終盤戦だった日本グランプリの結果次第ではタイトルが決まることも多かったためか、日本グランプリの映像も多く使われている。また、日本を訪れてもみくちゃにされているセナの映像を見ていると、当時の日本でのF1人気、セナ人気が相当だったのだろうと思われる。スポーツの枠を超えた人気という点では、現代の大谷翔平フィーバーに似たものがあるかもしれない。

 何度も繰り返しこの映画で出たフレーズが「政治的」というワードだ。F1という巨額なマネーが動く世界を当時から率いていたバーニー・エクレストンの存在はおそらくかなり大きい。もちろんセナの栄光に焦点を当てる映画なので、そういう「F1の闇」は大きくはクローズアップされない。しかし、度重なるルール変更や、不可解なジャッジなど、セナの不満もこの映画にはよく映し出されている。とりわけプロストとコンビを組んでいた時代は、ヨーロッパ人であるプロストと、ブラジル人であるセナとの間には単なる確執ではないものもあったはずだ。

 それでも、いやだからこそブラジルというネイションを代表し続けたことはセナ自身も誇りだったのだろう。当時のブラジル国民にとっては英雄でありアイドルであったセナは、老若男女問わず魅了されていたことがよくわかる。あるテレビ番組ではしゃぐ司会者女性の姿はめちゃくちゃラテン系のノリで面白いなと思うし、ブラジルグランプリで初優勝したときの盛り上がりはサッカーのワールドカップで優勝したくらいのすごさがあるようにも思えた。1994年はだから、ブラジルにとっては悲劇の年(セナの死)であり、同時に歓喜の年(アメリカワールドカップでブラジル優勝)だったのだと思う。

 セナの国葬とも言っていいほど大がかりな葬儀映像も最後に映し出されているが、この映像がこの映画のクライマックスになってしまうのは本当に悲しいものである。悲しいが、いやしかしセナがこれほど愛されていたこともよく分かる。結果的にセナのネガティブ要素はことごとく消されているが、さっき述べたF1の闇に比べると小さなものなのかもしれない。彼のレーシングスタイルと、彼のキャラクターが当時の人々を魅了したことだけは間違いないのだろうから。
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