Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



 まだ売れてない若手女性声優(高校生)ふたりの奮闘劇! と書くとお、百合アニメなのか? と一瞬思うが、その思いは一瞬だけであった。具体的に言うならば3話までがそのテンションであって、それ以降は徹底的に「感情労働としての現代的女性声優」のリアルをコミカルに積み重ねていくテレビアニメである。原作がラノベですでにかなり巻数を抱えていることを考えると(アニメの売り上げ次第だが)続編も期待できるし、とりあえず最初の12話はかなりきれいな形でフィニッシュできたと言って良いと思う。

 ざっくりとこのアニメを前後半に分けてみよう。主人公の元気系ギャル声優歌種やすみと、おっとり天然系(を演じる)夕暮夕陽の二人の女子高生声優が実は同じクラスにいた、という設定である。声優としての面識がなければ確かにそれに気づかないのか、という設定ではあるものの、せっかくなのでこの二人にラジオをやらせてみようというフィクションっぽい構成と、「仲が良いわけではないけど声優なので演技する」二人が最初から描かれる。つまり、二人が二人でいるという「演技をする」必要になるわけである。

 中村香住はかつてメイドカフェにおけるメイドの労働には時間外のSNS労働が多く含まれていることをインタビュー調査などによって分析した。現代の女性声優もTwitterやInstagramやYoutube配信など様々なメディアを使いこなさなければならない。それは明確な報酬の支払われる「労働」であるかもしれない(例えばアニメ出演声優たちが集まるプロモーション番組など)が、個人名義のメディアによる個人的な発信かもしれない。
 


 後者の場合は対価がないから「時間外労働」であるが、個人で仕事をする女性声優はその名前を広く売る必要があるから、(対価が払われないが)営業や広報活動とも言える。いずれにせよ、これらを全くしないのはしなくても仕事に困らないトップランクの声優に限られるのではないか。例えば坂本真綾は一貫して個人メディアを持っていない(ファンクラブや事務所開設のyoutubeチャンネルはあるものの)。

 話をアニメに戻すと、「時間外労働」の場であるインターネットでの情報発信やコミュニケーションが、今度は炎上を招きかねないというのがアニメ前半部分での最大の見どころであった。夕暮夕陽にまつわる特定、炎上、誹謗中傷。まだ高校生で、実績もさほどない女性声優がこれらのハレーションを耐えられるのだろうか? その時に歌種やすみが見せる行動が、アニメ後半の展開にもつながっていくように構成されているのがこのアニメの構成の上手さでもあると思いながら見ていた。

 アニメ後半は「声優」歌種やすみの奮闘である。大御所監督に指名で呼ばれたものの、他のキャスとは実力派のベテランぞろい。自分だけが新人声優で、明らかにスキルも劣っている。どうやってこの仕事をこなせばよいのか? そもそも果たして仕事を完遂できるのか?

 こうしたアニメ後半の展開はまるで新人のアニメ関係者の群像劇を描いた『SHIROBAKO』を思い出す。『SHIROBAKO』でもずかちゃんこと坂木しずかは他のキャラクターと比べても最も劣位な位置からスタートし、下積みの苦労を思う存分味わうことになるわけだが、だからこそその苦労を克服していくさまが鮮やかだった。



 このアニメを百合アニメとして消費していいのかどうかはわからない。自分としてはずっと労働を描いたアニメとして見ており、その上での関係性という観点だとシスターフッドと名付けたほうが(仲の良さというより、二人が相互に支え合うエンパワーメントが重視されているという意味で)良いのかもしれない。

 アニメ前半に歌種やすみに「救われた」形となった夕暮夕陽が今度はやすみを「救う」側に回る。もちろん努力するのはやすみ自身だが、一人ではなく二人で、あるいはもっと多くの人の力を借りながら成長していく姿はとても美しかったと思う。坂木しずかのそれとはまた違う、鮮やかな成長譚だった。


このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット