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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



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 ホン・サンス映画6本目。いい意味でさくっと見やすいので、このペースでしばらく(飽きるまでは)続けてみようかなと思っている。各種配信サイトを駆使すればあと10本くらいは全然見られそうだ。

 さて、相変わらずミニマルな設定と展開で進むこの映画だが、前半と後半で同じあらすじを持つという特質を持つ。「反復」はホン・サンスでおなじみだし、この前見た『3人のアンヌ』は異なった設定で3回の反復を行う映画だった。だが本作の場合はキャストと設定はいじらない。場面もいじらない。つまり同じ場所で、同じ男女をその場に置く。違うのは会話と、細かな行動だ。「あの時は正しく 今は間違い」というタイトルが前半部、「今は正しく あの時は間違い」が後半部に当たる。英語タイトルの"Right Now, Wrong Then"は後半部のタイトルをそのまま持ってきた形と見て良いだろう。

 大学での講義のためにソウルから水原に移動することになっていたが、コミュニケーションの行き違いで1日早く水原を訪れた「監督」が、ある寺?を訪れた時にそこで一人たたずんでいた若い女性、ヒジョンに話しかけるところから物語は始まる。既婚の映画監督と、謎めいたアンニュイな若い女性という組み合わせはホン・サンスとキム・ミニの今後の関係性を予見しているかのようだ(最初から狙っていたとするならおそろしい)。

 場所を変えながら会話を続ける、そして束の間のロマンスが生まれるかもしれないという予感を映し出す映画、という点では『次の朝は他人』を思い出す。あの映画も主人公は映画監督だった(元職ではあるが)。予感を描くということは、会話そのものというより会話と会話の行間を描くということなのだろう。『次の朝は他人』だとモノクロで細部がやや見づらかったが(だがこの映画の場合はそれが良い)今回はちゃんとカラーなので、手の動きや表情の変化といった細かなしぐさ、特に「監督」がどうやってヒジョンを口説こうとするのか、そのプロセスがよく見えるようになっている。

 逆に言うと観客は口説かれる側のヒジョンの立場に立ちやすい映画なのだと思う。ヒジョンの本心は、前後半どちらを見ても分かりにくいからだ。「監督」になびいても悪くないかなという気持ちと、この人は結局私の若さに魅力を感じるだけでしょうという冷めた目線。特に前半部の「今は間違い」の方の「監督」は居酒屋のカウンターで悪酔いして(もちろん演技かもしれない)ヒジョンを口説き落とそうとする。この気持ち悪さの演出はなかなかに上手い。

 同時に、いずれにおいても最後までヒジョンは「監督」を試そうとしている。自分という女性を前にして、目の前の既婚中年男性がどのように振る舞うのかを、時には距離を取りながらずっと観察している。観客もまた、「監督」の立ち居振る舞いを観察させられている。ホン・サンスによってとも言えるし、ヒジョンによって、とも言えるかもしれない。ヒジョンの密かな企みに、観客も参加させられているとも言えるのだ。

 ヒジョンは少しずつ自己開示をする。全部ではない、あくまで自分の一部だが、暗い内面も吐露する。だから「監督」にもちゃんと真実を語ってほしい、本音で話してほしい。上っ面の言葉で若い女を口説き落すんじゃなくて、ちゃんと「私」を口説いてほしい。そうした企みがどのような帰結を生むのかを見届けてほしい。そういう映画だったのだろうなと、素朴に思う。


◆関連エントリー
「物語が始まる」までの遅さ、威風堂々のこっけいさ ――『教授とわたし、そして映画』(韓国、2010年)
ループするけど終わりは来るし終わらせないといけない ――『次の朝は他人』(韓国、2011年)
まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)
海辺の風景を反復する、灯台を探して ――『3人のアンヌ』(韓国、2013年)
何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)
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