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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



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 ホン・サンス映画7本目。この監督がさほど長くない映画(おおよそ100分以内)の中で何をやろうとしているのかについては、だいぶ感覚がつかめてきたかなと思う。ただこの映画の紹介文にある「焦らない、闘わない、無理しない、恋したい。だから、覚悟を決めて一歩を踏み出す―」という文言は癒し系映画という誤解を生みそうなのでやめたほうが……(輸入映画あるあるかもしれないけど)

 ヨンヒは元女優(厳密には休業中)。ある作品の監督との不倫が世間をにぎわせて女優活動を休んでいた、という設定はあまりにもホン・サンスとキム・ミニの関係性を「利用していて」おそろしいなと思うけど、いったん置いておこう。ヨンヒがハンブルクの友人を訪ねるところから始まる。国内であれ海外であれ、元いた地とは違う場所を「訪問」するのはホン・サンス作品でよく見られる映画のスタートだ(3人のアンヌ、次の朝は他人)。

 その後韓国に戻ったヨンヒは先輩を訪ねて江陵(カンヌン)を訪れる。緯度はソウルとさほど変わらないが、ソウルとは反対の北東地域に位置する港町だ。この場所を舞台にしていることがタイトルの「夜の浜辺」にもおそらくつながっているのだろう。旧知の人と会い、食事をしたりお酒を飲んだりしながらなんでもない会話を交わす。この展開もおなじみだが、普段より印象的だったのはキム・ミニ演じるヨンヒが「ひとり」でいるシーンだ。

 たとえば37分過ぎ。旧知の男性と会った後に、ひとりタバコを吸いながら歌を口ずさむシーンがある。この映画はこのひとりで過ごす時間をあえて長めにカメラ回しする。これは誰かと会っているはずなのに、自分が受け入れられているとはとても思えない、そんなヨンヒの心境を象徴するからではないかと思った。

 だからある飲み会のシーンで突如としてヨンヒが感情を爆発させた時、きっとずっとそうしたかったのだろうと思ったのだ。癒しを求めて江陵をきたわけではない。両親に会うために韓国に、という名目はあるものの、まだ女優復帰を決め切れていないヨンヒにとっては、すべてが途上なのだろう。途上だからこそ、簡単に自分のことを「分かったように言ってほしくない」わけだ。それが優しさだったり素朴な感情であったとしても、他人に自分の人生をどうこう言われたくはないのだと。

 叫んだヨンヒを見て、逆にこの人の強さを感じられると思う。ひとりでタバコを吸ったり、浜辺で寝そべったり、物思いにふけってみたり。そうして「ひとり」になりたいにも「ひとり」にさせてくれない状況にも、苛立ちを覚えているように見える場面がいくつかある。人に会いたい感情と一人でいたい感情が両立することは誰にだってあるはずで、それをうまく言葉にできず(だから叫んでしまう)、理解されない切なさにも満ちている映画だった。

 逆に言うと、現代人的な悩みでもあるのだろう。不倫騒動というつまづきはあったが、ヨンヒのようなキャリアのあって自立している女性像は、逆に言うとどこに進むのかといった針路を自己決定しなければいけない主体でもある。つまづきから立ち直る時に何を思い、何を語り、どう振る舞うのか。作中のヨンヒが決して器用ではない生き方を見せるからこそ共感的な存在として魅力的に映るのだろうし、この映画の何よりの魅力だったと思う。


◆関連エントリー
「物語が始まる」までの遅さ、威風堂々のこっけいさ ――『教授とわたし、そして映画』(韓国、2010年)
ループするけど終わりは来るし終わらせないといけない ――『次の朝は他人』(韓国、2011年)
まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)
海辺の風景を反復する、灯台を探して ――『3人のアンヌ』(韓国、2013年)
何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)
ヒジョンの密かな企みについて ――『正しい日 間違えた日』(韓国、2015年)
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