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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:JAIHOfilmarks

 JAIHOで配信終了が近づいていたため(今月14日まで)見てみた3時間ムービー。『アデル、ブルーは熱い色』の監督であるという情報だけは仕入れていたが当該映画を見ていないので、ほとんど先入観なく見た一本。いやしか長い、本当に長い。のだが、その長さの意味を最後の最後にぶつけてくるところはかなり面白いと思ってしまった。

 1990年代のフランス。パリの医大を中退して実家に戻ってきた若者のアミンが主人公。そのアミンが、幼馴染オフェリエと、いとこのトニによる濃厚なセックスを「のぞき見る」場面からこの映画は始まってゆく。行為が終わったあとにベルを鳴らし、何もなかったかのようにオフェリエと会話するアミン。そしてその後はビーチにクラブに、そして羊農場にと、激しいようで単調にも見える「反復された日々」を送る。

 正直なかなか評価の難しい映画である。3時間かけておよそ3日間の出来事が描かれるわけだが、ではその3日間に何かしらストーリーとしての進展があるかというと、ほとんどない。ひとえにアミンのシャイな性格のせいでもあり、ビーチとクラブはあるけれどそれ以外の娯楽がほとんどないバカンスの土地という属性ゆえかもしれない。これがアミンの元いたパリが舞台ならばそうはいかないだろうが、田舎町として描写されるがゆえに、人間関係も限定的だし、行動範囲も限定的な映画なのだ。

 ビーチとクラブでこの映画が映し出すのは、アミンの視線と、視線の先にある女性たちのボディである。脚本家志望のアミンは(あくまで志望であり、業績があるわけではない)常に映画のことを考えている。だからオフェリエに唐突にヌードを撮らせてほしいと要求し、あっさり却下される。自分のやりたいことを、どのようにすれば具体的に実現可能なのか、そのイメージをはっきり持っていないタイプの若者なのだ。

 だが若さゆえの性欲か、あるいはカメラを見据えたイメージなのかは分からないが、ビーチでもクラブでもずっと女性たちを見ている。特にその下半身をずっと見ている。とりわけクラブでは女性たちとの絡みをもっと楽しめばいいのに、そうはならない。その代わりにアミンは、「踊る君(女性たち)を見ている」のだ。ずっと見ている。見ることが、この映画そのもののようにも見えるほどにずっと見ている。

 では見られている側の女性たちはどうか? オフェリエの他にシャルロット、セリーヌの美女コンビが重要な役割を担うわけだが、シャルロットはオフェリエのカウンターパート的存在としてトニを取り合う。もっとも取り合うという自覚があるのはシャルロットの方で、オフェリエにしてみれば自分に対抗してくるシャルロットをただただ「ウザく」感じている。他方でバイセクシャルを公言するセリーヌはとても自由だ。魅力的な男たちと女たちを、セリーヌは常に狙っているように見える。この軽やかさが、この映画をただの享楽映画にしない良さがあると思う。

 もっとも、多くの人に共通するのは「疲れた」という感覚だろう。ただただ享楽的な男女たちを見せつけられる3時間の映画を、疲れずして見るのは難しい。だからこそラストのシャルロットのセリフが突き刺さる。実はメタ的な映画だったんだよと、そういう風に作っていたんだよと見せつけられるようなセリフは、疲労を緩和するというよりは疲労をさらに感じさせるセリフでもあるが、だからこそこのセリフがあるかないかでこの映画の印象も大きく変わるなと感じた映画でもあった。

 疲れることを前提とすれば見る機会を選ぶ映画だなとは思うけれど、たまには享楽的になってもいいと思う時に当てはまる映画かもしれない。それはそれとして、冒頭4分ほど、トニとの絡みを見せるオフェリエの身体は本当に美しかった。なるほどこれはアジア人女優には出せない色香であり、ボディメイクだなと強く感じた。
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