見:Netflix
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『パスト ライブス』を見たあとに、似たテイストの映画は何かないかとChatGPTに聞いたところ薦められたので見てみた一本。GPTは「悲しみを乗り越えない映画」と説明していたが、たしかに半分はそう説明できるなと思う。マンチェスターで妻や子どもたちと生活していたリーの身に続く悲劇と、家族を失ってなお続く厳しい現実にうまく対処できない中年独身男性をケイシー・アフレックが好演している。
残り半分は、確かにリーにとっての悲しみは完全に癒されることはなく残っている。沈殿し続けていると言っても良い。それでも自殺を回避して(周囲に止められて)生き直そうとするリーの姿勢は、十分「乗り越えている」よと思った。子どもと家を失い、妻とも別れた中年独身男性が人生をやり直すのは容易ではない。不器用で愚直だけど、それでも生きる方向で人生を考えているリーの姿には心打たれるものがある。そういう映画だと感じた。
内容を振り返ろう。マンチェスターでアパートやマンション数棟の「便利屋」稼業をやっているリー。子どもを失い、妻とも別れて哀愁漂う中年男性と生きていたが、ボストンに暮らす兄が亡くなったという報告を受ける。兄の妻はアルコール依存症の既往がある関係から、リーが兄の子どもであるパトリックの後見人になることに。21歳まではパトリックの面倒を見ることになったリーは、しかしパトリックとの関係をうまく構築できないことにも悩んでいた。
子どもたちを火事で亡くすエピソードと、兄であるジョーの死を知ってパトリックの法的な後見指名をされる場面をほぼ同時にクロスさせながら描くのが非常に憎い演出である。この男が何をしたのかと思うほど、厳しい現実を突き付けてくるからだ。高校生であるパトリックは思春期で、ホッケーやバンド活動、「2人いる」らしい恋人とのイチャイチャに大忙し。おじと甥の関係である二人は以前から面識があったが、どこかぎこちない。パトリックにとって「父親代わり」のはずのリーとの相性の難しさに、何度もイライラを表明する場面が出てくる。
それでも、リーとパトリックのこうした衝突を繰り返し描くことはきっと重要なのだろうとも思った。思春期のパトリックがやりたいことを口にするのは当然だし健康的だ。そしてそれを全部「まともに受け止めない姿」も、家族像としてよくあるものだと思う。言いたいことは言う。その上でどうするかを考える。リーはとにかく不器用で、口にも出るし手に出てしまう。それでも彼の周りには常に人がいるし、支えてくれることもある。みんながリーの不器用さと、底にある優しさを知っているからなのだろう。
友人であるエジィーさんがfilmarksのコメントで「まさに負けた人のための映画」と評しているのがシンプルでかつとても的確だなと思った。リーがこれから「人生の勝者」になるのは難しいだろうし、おそらくリーにそのつもりはない。だから再婚につながる女性との出会いの紹介も、ことごとく拒否している。かと言って、過去にしがみついて生きることもない。「負けたことのある」人生を、全うしようとしている。現実を生き延びようとする姿勢が、長い目で見ればリーを救済するのだ。
ハリウッド的なありがちなサクセスストーリーや成長物語ではないが、だからこそ歯を食いしばって生きる中年男性のそうした物語は時に心を打つものがあった。静かな悲しみとともに、でも確かに心を打つ映画だ。
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