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ホン・サンス映画8本目。英語タイトルは"LIKE YOU KNOW IT ALL"で、おそらくこれを意訳した形での邦題なのだと思うが、「すべてを知っているかのように」と直訳できる英語タイトルもエッジというか、監督なりの皮肉が効いていて良い。
映画監督の主人公ギョンナムが地方の映画祭に訪れる。自分をエスコートしてくれる美女のことが気になりながら、参加した夜の飲み会で酒の勢いで女性を抱いてしまう。そのことが原因で殺されそうになり、さらに置き去りにした美女にも激怒される。しょんぼりしたまま今度は済州島へ行き、学生時代の旧知の知り合いと会い、そしてまた酒を飲んで女性と……というなかなかどうしようもない男のなんでもないあらすじである。
この映画を踏まえると、日本では同時公開となったらしい『次の朝は他人』がひどくロマンチックに見えてくる。『次の朝』の主人公は「元」映画監督で、この映画でも毎日のように酒を飲み、女性を抱くが、「酒に飲まれない」ことと、「翌日には忘れてしまう」ことで深入りを避けている。女性を抱くことはできるが、それ以上深入りできないという諦念があるからだ。ロマンチックと寂しさを常に兼ね備えている主人公は、確実に若さを失ってゆく男の背中を見ているようでもあった。
他方で『よく知りもしないくせに』のギョンナムはまだ「現役」の映画監督だし、海外での受賞歴もある監督だ。だから学生の前で講義をする際には、「映画監督ぶった」話し方をする。映画とは、という形で偉そうに振る舞うのである。そうした尊大さと、身近な女性を抱かずにはいられない軽薄さが同居しているキャラクターだ。逆に言うと、それができる程度には「若い」監督なのである。そういう風に描かれている。
とはいえ、もはや「若さゆえの過ち」が許されるような年頃でもない(そういうのは学生のうちに済ませておくべきだろう)から、やったことの責任は問われる。でも若さ(というより未熟さか)ゆえに、責任からは逃亡する。女性を抱いた後に男たちに追われるのは典型的な自己責任としか言えない。薄っぺらくて饒舌なだけの男は、滑稽に見える。
でもこの滑稽さを作り出しているのは、実は周りの存在でもあるのではないか、というのがもう一つの視点だろう。映画監督はそこに存在するだけならただの監督だが、周囲が評価したり持ち上げたりすることで権威づけされる。若くして、精神的に未成熟な状態で権威付けされてしまったらどうなるだろうか。その意味では、映画監督であるホン・サンスによる意地が悪い思考実験にも見える映画だった。
◆関連エントリー
・「物語が始まる」までの遅さ、威風堂々のこっけいさ ――『教授とわたし、そして映画』(韓国、2010年)
・ループするけど終わりは来るし終わらせないといけない ――『次の朝は他人』(韓国、2011年)
・まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)
・海辺の風景を反復する、灯台を探して ――『3人のアンヌ』(韓国、2013年)
・何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)
・ヒジョンの密かな企みについて ――『正しい日 間違えた日』(韓国、2015年)
・逡巡する、タバコを吸う、声を上げる ――『夜の浜辺でひとり』(韓国、2017年)
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