Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:ホールソレイユ
監督/脚本:グザヴィエ・ドラン
原作:ジャン=リュック・ラガルス
出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイ


 見始めてしばらくして、ああこれはなんて退屈な映画なんだと思った。ググってもにたような感想はいくつも見当たる。これまで見たグサヴィエ・ドランの映画ならば、どこかでエモーショナルなドライブが始まるに違いないという期待を持つが、この映画に関してはどこにそれを見いだしていいかがわからない。もちろんダンスのシーンや回想シーン、あるいは突然ラジオから流れ出した「恋のマイアヒ」にノっていくシーンなど、動きをつけるシークエンスがないわけではない。それでも全体的に、退屈な99分であるのは間違いない。前作『Mommy』がクレイジーな作品だったからこそのこの対比はどこからくるのか。

 しかしもう少しじっくり見ていくと、ドランのねらいが見えてくる。まず実家を12年ぶりに訪れる主人公のルイがゲイらしいということがわかること。そしてミニマルに繰り返されていく家族の会話(ほとんどが喧嘩腰のようでもある)は、デビュー当初から一貫して家族という題材へのこだわりを持ってきたドランが、今回もそのこだわりを維持しているということ。まるで村上春樹のように同じようなモチーフを繰り返しこそすれ、世界観や映画そのものの長さなど、与える印象は異なってきた。だから今回も、これまでと同じでいて、どこかが違う。そんなドランの映画なのだ。

 たとえばヒロイン二人のルイへの受け止め方はかなり違う。一番最初にルイを迎え入れてハグをしたシュザンヌはルイを待ち焦がれていたと言っていい。12年の歳月はあこがれや片想いににた感情をシュザンヌに抱かせていて、ルイの送り続けた絵はがきを大事に保管しているし、作家であるルイについて書かれた新聞記事や雑誌記事のスクラップを自分の部屋に張りつけている。言わばルイマニアとも言えるシュザンヌだが、思いをぶちまける自分と違って静かなまま多くを語ろうとしないルイに対する不満も同時に抱く。タバコを誘っても断られてしまうときのシュザンヌの複雑な感情を、ルイは容易に理解できない。

 他方でルイとは初めての対面となるマリオン・コティヤール演じるカトリーヌ(ルイの兄アントワーヌの妻)は、ルイに対してもっともフラットに、そして優しく接することのできるキャラクターだ。ルイもカトリーヌにだけは伝えられる言葉を、いくつか口にするようになる。兄嫁という立場でルイに接するカトリーヌは時にアントワーヌの逆上を買うこともあるが(とはいえアントワーヌは映画のなかで常に「怒っている」キャラクターだ)コティヤールの大きな瞳はそれだけで優しさだと言ってもよくて、ルイがマニアになってしまったシュザンヌに若干引きながらカトリーヌとはまだ会話をできる、と思ってしまうのも無理はない。

 こんな風に、家族の誰もがルイに対する複雑な感情を持っているが、その理由までは明かされるわけではない。ルイも、なぜ自身が12年ぶりにわざわざ実家に帰ってきたのかを、話そうとしない。いや、正確には話せないのだ。話すタイミングのなさ、自身の間の悪さ、あるいは12年間で明確になってしまった自分と家族の断絶。話せない理由を挙げるとキリがなくて、その状況の中で重要な話をする、というのはよほどの条件が整わないと難しい。

 最初にこの映画は退屈だと書いたが、家族の会話なんて外部の人間が見たところで退屈なのは当たり前だ。そこに12年間の断絶が持ち込まれるのだから、単に退屈である以上に様々な混乱を招く結果となっており、そしてその混乱の背景が語られないことで映画の視聴者をさらに困惑させることにもつながっているのだけれど、つまりそれは視聴者もまたルイのことをよく知らないストレンジャーだということをつきつけてくるのだろうと思う。

 よく知らない。それでも血はつながっているし、共有していたはずの過去の記憶がある。家族だとか家だとかいうものがきれいなものではない、というのは冒頭に挿入される歌の歌詞がストレートに物語っているが、だからこそドランがこだわり続けているのもよくわかるし、物語作家である前にキャラクターとキャラクター同士の複雑で繊細なコミュニケーションを描いていく、というところが出発点なのだということもよく分かる。もっと簡単にまとめてしまえば、非常に純文学的なテーマを持った映画作家だなと思う。とりわけ物語らしい物語が薄く、家族5人のたった1日を書いただけのこの映画は、その純文学性がより色濃く表れている。

 音楽とか色づかいとか、触れたいところは他にもいろいろあるのだけど、ただ単に退屈な映画だと片付けるのは(それはそれで間違っていないが)惜しい。言いたいことを容易には言えない、だが言わなければならないと、表情をほとんど変えずに半ば透明な存在としてもがいているルイを演じるギャスパー・ウリエルの演技は見事だ。言葉に頼らない演技をするのもまた容易ではないだろう。苦悩を内に抱えながらそれを表出できないルイというキャラクターに、ウリエルの透明さはよく似合っている。パンフレットで彼が幽霊という表現を使っているのもうなずけるところだ。幽霊だからこそ、たった1日しか現れることができなかったのかもしれない。
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