東京時代の知人であるせしもくん(@seshiapple)から地方暮らしについての往復書簡みたいなのをネット上でやりませんか、という企画を提案されている。
いまのところ決まっているのは、彼のnote上で彼と私の文章を交互に掲載していく、という形だ。長々と続けてもネタがお互い切れるだろうので、ある程度回数を区切った形での往復書簡になるだろう、というあたりまでは合意している。
具体的にいつから、どのペースで進めていくかはまだこれからといったところなので始まったらこちらでも告知しようと思うが、その前に自分のこれまでの高松生活を仕事や生活という観点で改めて振り返ってみようと思う。
少し前に前職でのワークスタイルについて振り返った記事は書いたが、今回はある組織内でどう振舞うかというより、高松のような地方中核市でフルタイムで働き、生活をするとはどのようなことなのかを、大学時代に東京を経由した目線も踏まえつつ振り返ってみたい。
途中まで書いたら長くなったので、「労働編」と「生活編」に分けてお送りしたい。
◆仕事の面で良かったこと、悪かったこと
まずは「高松で働く」という観点で良かったことと悪かったことを書いていきたい。
肩書としては、書店員(約1年、アルバイト)と障害福祉サービスの支援員(約3年)で、計約4年(2014年〜2018年3月)。
〇良かったこと
・選ばなければ仕事はある
→香川県の正社員の有効求人倍率は1倍を常に超えている
・高松市内とその周辺地域の地理や交通に詳しくなった(そして運転の経験が積めた)
→いわゆる送迎業務も日常的に担当しており、それ以外でも車を運転する機会は多かった。ペーパードライバーからのスタートだったので、運転技術を仕事を通してあげられたのは意味がある。ハイエースまでのサイズなら乗れる。
・人間関係ができた
→高松にそもそも友だちはもはやいないので(仲のいい人はほとんどみな四国より外)飯を食ったり酒を飲んだりする相手がいるのは良いこと。
・実務経験が積めた(介護職員実務者研修を取得後、介護福祉士を取得)
→辞めるタイミングで国家資格を一つゲットできたのは、少なくとも悪いことではない。
・新卒ではない中で正規雇用として社会人を経験できた
→新卒での就活をまともにしなかった人間としては、なんだかんだこれがでかい。これがなければ現職へのステップアップも難しかった
・残業がほぼない
→きっちり8時間働いたあとにランニングをしてもまだ19時かそれより前という余裕はでかい。
・通勤時間が短い
→書店員時代も障害福祉時代も自転車で10分〜20分の距離だった。
●悪かったこと
・給料は安い
→福祉職の限界。これはそもそも期待していなくて、ステップアップのための時間だと割り切っていた。
・残業はないが休みは少ない
→これも福祉職あるあるだと思っていて、前職はまだ日祝休みという固定休があったが、そうでなければ(入所系の施設など)もっと精神的につらかったのではないか。
・人間関係が狭くかつ入れ替わりが激しい
→そもそも流動性の高い業界であり小規模事業所ならこれもよくある話。
→結果的に人手不足が常態化してマルチタスクにならざるをえない。
といったところ。結果的にステップアップできたので、この3年ないし4年間については大きな不満はない。ないが、もちろんこの当事者であったとき、たとえば何も先がない書店員バイト時代はなかなか精神的に楽ではなかったように思う。仕事自体は楽しくやれていたと思うし、人間関係もまずまずだったが都市部でもそうであるように書店員の賃金は低く抑えられているので、貯金もほとんどできなかった。
正規雇用になってようやく貯金はできるようになったがそれでも大学の同期と比べると低収入には違いなく初年度はワープアと言えなくもないほどの水準だった。やはりこの業界も低く賃金が抑えられているので待遇改善を抜本的にやらなければ人材が定着するわけではないのだ。
福祉業界ではなく医療業界だが、以下のような取り組みがもっと幅広く行われてほしい。というかインセンティブという概念を知らない経営層が多すぎるのではという感じだし。
◆なぜ、何のために働くかということ
自分はあくまでステップアップの期間と割り切って働いていたが(前職に入職する際にもいずれ公務員になるつもりだ、と伝えていたので退職がスムーズにできた)仕事自体を楽しめたのもでかかったかなと思う。まあ前職は楽ではなかったけど、現職のハードさに比べると牧歌的で懐かしくも思えてしまう。
津田大介が一時期よく仕事を続けるには金、人間関係、やりがいの三つが大事だと言っていたが、1つ目がそもそも期待できない中3つ目は常に持てていたので、人間関係、要はここまで被雇用者の流動性が高くなければ福祉業界で働き続けるのは全然アリだったろうなと思う。
あと、現職で仮につらくなって辞めたくなっても、短いながら前職でのキャリアと資格があるというのは、セーフティネットという意味では精神的にでかい。そこが学歴以外なにもないまま書店員をやっていたころとの違いだなと思う。
これもステップアップと割り切ったからだが、「書店」も「福祉」も学生時代から興味のあった分野で、それぞれの中の人になれた、というのも自分にとっては意味があった。学歴を考えると低賃金に甘んじているように、少なくとも客観的には見えるしなんでわざわざこの仕事を、という話はさんざんされた。
されたけどそんなことはどうでもよくって、自分が何を選択するかが大事でしょうということを、とりあえず一貫した4年間だったかなと思う。その意味ではまあいまも同じなんだけど、興味がなければ仕事ができないというのはきっとある。いくらお金を積まれても、「やりがい」とは違うけど「動機・理由・目的」のような要素は仕事を選択するうえで重要なのではないか。
人手不足の時代なので業種や規模にこだわらなければしばらくは仕事がある時代だと思う。そんな中であえて給与水準の高くない地方で働くならば、人口20万以上の中核市くらいであれば休みの日の息抜きもしやすい(カフェと図書館は息抜きのおなじみだが、これがないととてもつらい)し、移動も比較的楽だ。まあ仕事の幅や息抜きの幅となると政令市(人口70万以上)のほうが強いんだけど。近くだと大都会岡山、とかね。
とりあえずそのへんの話は、次回書いていこうと思う。労働編はこれで終わり。やりたいことをやるべし。
いまのところ決まっているのは、彼のnote上で彼と私の文章を交互に掲載していく、という形だ。長々と続けてもネタがお互い切れるだろうので、ある程度回数を区切った形での往復書簡になるだろう、というあたりまでは合意している。
具体的にいつから、どのペースで進めていくかはまだこれからといったところなので始まったらこちらでも告知しようと思うが、その前に自分のこれまでの高松生活を仕事や生活という観点で改めて振り返ってみようと思う。
少し前に前職でのワークスタイルについて振り返った記事は書いたが、今回はある組織内でどう振舞うかというより、高松のような地方中核市でフルタイムで働き、生活をするとはどのようなことなのかを、大学時代に東京を経由した目線も踏まえつつ振り返ってみたい。
途中まで書いたら長くなったので、「労働編」と「生活編」に分けてお送りしたい。
◆仕事の面で良かったこと、悪かったこと
まずは「高松で働く」という観点で良かったことと悪かったことを書いていきたい。
肩書としては、書店員(約1年、アルバイト)と障害福祉サービスの支援員(約3年)で、計約4年(2014年〜2018年3月)。
〇良かったこと
・選ばなければ仕事はある
→香川県の正社員の有効求人倍率は1倍を常に超えている
・高松市内とその周辺地域の地理や交通に詳しくなった(そして運転の経験が積めた)
→いわゆる送迎業務も日常的に担当しており、それ以外でも車を運転する機会は多かった。ペーパードライバーからのスタートだったので、運転技術を仕事を通してあげられたのは意味がある。ハイエースまでのサイズなら乗れる。
・人間関係ができた
→高松にそもそも友だちはもはやいないので(仲のいい人はほとんどみな四国より外)飯を食ったり酒を飲んだりする相手がいるのは良いこと。
・実務経験が積めた(介護職員実務者研修を取得後、介護福祉士を取得)
→辞めるタイミングで国家資格を一つゲットできたのは、少なくとも悪いことではない。
・新卒ではない中で正規雇用として社会人を経験できた
→新卒での就活をまともにしなかった人間としては、なんだかんだこれがでかい。これがなければ現職へのステップアップも難しかった
・残業がほぼない
→きっちり8時間働いたあとにランニングをしてもまだ19時かそれより前という余裕はでかい。
・通勤時間が短い
→書店員時代も障害福祉時代も自転車で10分〜20分の距離だった。
●悪かったこと
・給料は安い
→福祉職の限界。これはそもそも期待していなくて、ステップアップのための時間だと割り切っていた。
・残業はないが休みは少ない
→これも福祉職あるあるだと思っていて、前職はまだ日祝休みという固定休があったが、そうでなければ(入所系の施設など)もっと精神的につらかったのではないか。
・人間関係が狭くかつ入れ替わりが激しい
→そもそも流動性の高い業界であり小規模事業所ならこれもよくある話。
→結果的に人手不足が常態化してマルチタスクにならざるをえない。
といったところ。結果的にステップアップできたので、この3年ないし4年間については大きな不満はない。ないが、もちろんこの当事者であったとき、たとえば何も先がない書店員バイト時代はなかなか精神的に楽ではなかったように思う。仕事自体は楽しくやれていたと思うし、人間関係もまずまずだったが都市部でもそうであるように書店員の賃金は低く抑えられているので、貯金もほとんどできなかった。
正規雇用になってようやく貯金はできるようになったがそれでも大学の同期と比べると低収入には違いなく初年度はワープアと言えなくもないほどの水準だった。やはりこの業界も低く賃金が抑えられているので待遇改善を抜本的にやらなければ人材が定着するわけではないのだ。
福祉業界ではなく医療業界だが、以下のような取り組みがもっと幅広く行われてほしい。というかインセンティブという概念を知らない経営層が多すぎるのではという感じだし。
Ayako Shibata@ラッコの妊娠相談ボット@ayako700外科医へのインセンティブで病院収益も増大
2018/05/25 22:29:52
佐賀大学すごい!( ゚д゚)
メディカルトリビューン2018.5.17 https://t.co/7NJ3OrqYT4
◆なぜ、何のために働くかということ
自分はあくまでステップアップの期間と割り切って働いていたが(前職に入職する際にもいずれ公務員になるつもりだ、と伝えていたので退職がスムーズにできた)仕事自体を楽しめたのもでかかったかなと思う。まあ前職は楽ではなかったけど、現職のハードさに比べると牧歌的で懐かしくも思えてしまう。
津田大介が一時期よく仕事を続けるには金、人間関係、やりがいの三つが大事だと言っていたが、1つ目がそもそも期待できない中3つ目は常に持てていたので、人間関係、要はここまで被雇用者の流動性が高くなければ福祉業界で働き続けるのは全然アリだったろうなと思う。
あと、現職で仮につらくなって辞めたくなっても、短いながら前職でのキャリアと資格があるというのは、セーフティネットという意味では精神的にでかい。そこが学歴以外なにもないまま書店員をやっていたころとの違いだなと思う。
これもステップアップと割り切ったからだが、「書店」も「福祉」も学生時代から興味のあった分野で、それぞれの中の人になれた、というのも自分にとっては意味があった。学歴を考えると低賃金に甘んじているように、少なくとも客観的には見えるしなんでわざわざこの仕事を、という話はさんざんされた。
されたけどそんなことはどうでもよくって、自分が何を選択するかが大事でしょうということを、とりあえず一貫した4年間だったかなと思う。その意味ではまあいまも同じなんだけど、興味がなければ仕事ができないというのはきっとある。いくらお金を積まれても、「やりがい」とは違うけど「動機・理由・目的」のような要素は仕事を選択するうえで重要なのではないか。
人手不足の時代なので業種や規模にこだわらなければしばらくは仕事がある時代だと思う。そんな中であえて給与水準の高くない地方で働くならば、人口20万以上の中核市くらいであれば休みの日の息抜きもしやすい(カフェと図書館は息抜きのおなじみだが、これがないととてもつらい)し、移動も比較的楽だ。まあ仕事の幅や息抜きの幅となると政令市(人口70万以上)のほうが強いんだけど。近くだと大都会岡山、とかね。
とりあえずそのへんの話は、次回書いていこうと思う。労働編はこれで終わり。やりたいことをやるべし。
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