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最近は『窓辺にて』や『退屈な日々にさようならを』のように、会話劇をメインに見せながらストーリーはあえて作らない映画を見てきたが、今回はちゃんとした骨格のストーリーを作ってきたなと思った。とはいえ、映画の中盤ほどまではどこに向かうかわからない曖昧さもあって、最後のオチも決してわかりやすいきれいな結末ではない。こういう、恋愛や家族の問題に「簡単に答えを出さないところ」は今泉らしいなと率直に思った。
宮沢氷魚演じる井川迅と、藤原季節演じる日比野渚。二人の演技の良さがこの映画の魅力であるというのは公開当時から聞いていた評判だった。学生時代に交際していた二人がその選択に終止符を打った時の夢を見、お互い良い年齢の大人になったところで再開ところからこの映画は始まる。静の迅と動の渚と言ったところで、独り身の迅と、結婚したが別居している妻がいて、空ちゃんという一人娘と同居している渚。同居しているというか、「同居するために」迅のもとを突然訪れるのである。
そうして再会した二人の日常を映す映画かと思いきや、そうはならない。この映画を半分まで見た時点で感じたのは、思った以上に大人と子どもの話、つまり大人の事情に巻き込まれて身動き取れなくなった女の子である空ちゃんの演技と感情にフォーカスが当たる上に、それがとても切ないのである。
ただ、子どもって多かれ少なかれこうだよなとも思ったし、特に前半〜中盤までにかけてはその子どもであるがゆえの「ままならなさ」を痛いほど見せつけられる。子ども自身が自分でできることってとても少なくて、理不尽でも受け入れていくしかないよなって思うことはかつての自分にもあったし、多くの人に共通だろうと思う。
この映画のように親が家に二人いてもいなくても、親がケンカしていてもいなくても、だと思う。しかし大人たちが悪いわけではなくて、大人たちもどうしようもない場合が多い。仕事に生活に子育ての、何もかもをすべてを達成することはできない。そして子どもも、そうした大人の事情をうっすらと察している場合が多い。そういう子ども時代のさみしさや切なさを思い出させる映画でもある気がした。
大人たちはみんなそれぞれ「こうあるべき」とか「いやそうじゃない」っていう価値観をそれぞれが持っている。でも空ちゃんはまだ世の中のことを知らない。そういう純粋さ、「価値自由」な精神があるからこそ、渚の心を動かしたし、母親の心も動かしたのだろう。もっとも、その純粋さや価値自由さは子どもという立場の弱さと引き換えであるから、手放しで良いと言えるものではない。彼女だってやがって歳を重ねるわけである。
ただ迅と渚がそうであったように、制度や規範がたとえ承認されなくても身近な人に承認されることは望んでも良いし、可能なのかもしれない。その例が松本穂香演じる自治体の移住担当職員であったり、町で出会うじーさんばーさんたちである。土地の歴史が色濃く描かれているわけではないが、「きっと理解されない」という思いすらある規範に囚われているのではないか? とこの映画は繰り返し突きつける。
つまるところ今泉力哉は一貫して「とにかく向き合え」と言いたいのだろう。『愛がなんだ』もそうだし、この前見た『退屈な日々にさようならを』もそうだし、『からかい上手の高木さん』もそうだった。内に秘めた感情を発露することで誰かを傷つけたり何かを失うかもしれないが、「なにも言わない」ことが正しいとは認めない監督だ。
「向き合って話し合って解決しよう」でもない。問題解決に繋がるかどうかを今泉はあまり重視していない。それはコントロールできないからとも言えるし、結論を急ぐことで失うものもあるはずだからだ。この映画であれば、親権を巡る法廷の中で渚が下した決断がそれだろう。家族の形に勝ち負けがあるわけじゃない。むしろ勝ち負けの外で「愛情」の伝え方を模索することを選んだ。それは渚と迅の間においてもそうであり、あるいはずっとそうだったのかもしれないなと思いながら、優しい気持ちで見終えることができる映画だった。
◆関連エントリー
・噛み合わない2時間20分の会話と語り、あるいは諦めと期待 ーー『退屈な日々にさようならを』(2016年)
・関係性があいまいでコミュニケーションが不足している男女たち ――『愛がなんだ』(2019年)
・目立たない男たち、ユニークで強気な女たち、そして気ままな猫 ――『猫は逃げた』(2022年)
・会話のリハビリを続ける、自分のために ――『窓辺にて』(2022年)
・「語らない」と「分からない」から始まるコミュニケーションの行く末 ――『アンダーカレント』(2023年)
・正統な今泉映画としての高木さん ――『映画 からかい上手の高木さん』(2024年)
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