Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Jaiho

 定期的にJaihoで韓国映画を見ているが、本作もその一環で見てみた。2004年に韓国で起きた事件を題材にして2014年に制作された映画で、低予算だが各映画賞などで評価を受けたようだ。主演のチョン・ウヒはこの映画で韓国国内の映画賞で主演女優賞をとっている。題材が題材だけになかなか語りやすいとは言えない映画だが、可能な限り感じたことを書いていこうと思う。



 まず思った以上に静かな映画ではあった。14歳の時の事件を契機として両親が離婚し、元いた場所を離れて両親ではない大人のもとで生活することになったハン・ゴンジュの生活が静かにつづられてゆく。彼女自身も静かな性格をしているが、時折り鳴り響く携帯電話の音には敏感に反応し、動揺を隠さない。2014年の映画ゆえかすでにスマホ時代を前提としているが、彼女だけは二つ折りのガラケーを使い続けているのも印象に残る。

 この映画は直接的に事件のことを扱おうとはしない。あくまで、「おぞましい経験をした少女」のその後を描くことに注力している。その後を生き延びたハン・ゴンジュは何を思い、どう生きているのか。転校先の学校(17歳なので高校だろうと思われる)は女子校で、担任も女性の教師というのはいくらかの配慮がされた経緯なのだろう。それでも一部の人間以外、当然クラスメイトもハン・ゴンジュの過去を知らない。多くを語らない彼女とクラスメイトの間には、しばしば衝突も起きる。

 それでもハン・ゴンジュはプールで泳ぐことを始め、ギターを弾き、歌を歌うようになる。その理由もまた詳細には語られないが、プールで泳いでいるときやギターを弾いている時の彼女の表情はこれまで見せなかったものを見せる。プールの水の中で集中している表情、歌を歌う時のにこやかな表情などだ。あれだけのことを経験してもなお自分はまだ生きているんだ、これからも生きていけるんだということを言い聞かせているようにも見える。

 最初は表情の変化に乏しかったハン・ゴンジュにも、ギターや歌を契機にしてクラスメイトの女子たちとのコミュニケーションが活発化してゆき、彼女の表情も明るくなっていく。異性のいない、安心できる空間はゴンジュにとっては束の間の癒しだったのかもしれない。それでも彼女は過去を語れないがゆえに、周囲の女子たちとの溝も生じる。

 他方で一人だけ、自分のことを熱心に理解しようとするクラスメイトの存在は、ゴンジュの心を少し揺るがす。ここから百合が始まりそうで始まらないのは、女子であるとしても他者と言う存在をおそれ、敏感になっているがゆえなのかもしれないと感じたからだ。また、キスの回数を問われて正直に答える場面は、理解してほしいという気持ちとあなたには分からないという突き放す気持ちの両方がにじみ出ているようにも見えた。

 他者との関係構築は難しい。それでも自分の力で少しずつ生き延びようとするゴンジュを襲うラスト20分の衝撃については、何と表現していいかが分からない。世界は残酷だし、人間は愚かだというゴンジュがもうとっくに身に染みているリアルが、また彼女を手放さない。逃げても逃げても追いかけてくるリアルに、押しつぶされそうになるのは自明なことだ。

 「誰も自分を守ってくれない」という絶望をこの映画は突き付けたのだろうか? そうかもしれないし、そうとも言い切れないのではないか。なぜならばゴンジュは自分の足で生きているからだ。生き延びることが復讐とはよく言ったもので(その意味では「逃げる」という表現も適切ではないかもしれない)、彼女は彼女の人生を生きている。ギターや歌、水泳など、自分だけの表現も持っている。か弱いかもしれないけれど、それでも日々を生きることはできるのだと。

 曖昧な表現でこの映画は終わりを迎えるが、しかしこれまでになかった明るさを見せる場面もあった。暗い一人ぼっちの世界から、少しでも明るい方へ。楽観も希望も容易には持てない現実の中でも生き延びることはできる。多くの人が自分のことを守ってくれなくても、自分を愛してくれる人はきっといる。それがこの映画が提示した、強くはないがかすかな希望だったのだろうと思う。
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