見:Amazon Prime Video
公式サイト/filmarks
読書メーターによれば原作を読んだのは2016年で、9年前か……となるとともに、9年も前だとすっかり内容を忘れていることに気づいたので新鮮に見ることができた。最近個人的に続けているホン・サンス祭りの休憩という意味で全然違う映画を見てみたいと思っていたが、Amazonプライムビデオの自動再生機能で再生されたのがこの映画だったので、せっかくなので今回見てみようと思った。
斎藤瞳。大卒後には県庁に勤める公務員だったが、王子千晴監督の『光のヨスガ』を見た時のことが忘れられず、公務員をやめてアニメの世界に飛び込む。原画や演出を経験しながらたどり着いた初監督作品の『サウンドバック 奏の石』を、制作チームたちと力を合わせて作っていくお仕事物群像劇……になりそうでならないところがこの映画のねらいであり持ち味なんだろうと思う。
まあとにかく吉岡里帆演じる瞳の扱われ方が雑である。特にプロデューサーと制作デスクからは「いいように使われる存在」として振り回される。作中のセリフでもあるように、「若い女性監督」というジェンダーを売り出す側が利用しようとするのだ。こういう構造、アニメだけじゃなくて映画制作でもあるでしょう? と観客側に突き付けているようにも見える。対照的に、王子千晴(中村倫也)という謎の天才王子様監督はセルフプロデュースに余念がない。この差をまず観客に突き付ける。
では王子千晴は何者なのか? これは実は最後まであまり明かされず、謎が多く残ったままである。原作では幾原邦彦をモデルにしたキャラクターとして登場するが、映画の中でアニメ化されている『運命戦線リデルライト』は『輪るピングドラム』じゃん!!!(いやそこまで似てはいないが)と思ってしまうくらい、幾原要素を詰め込んでいてとてもニヤニヤさせられる。つまり、アーティスト的な美意識と、特徴的なパステルカラーを背景に散りばめる描き方を、存分に見せてくれるのだ。
こうした作中作の作り込みが細かい割に、その制作過程については『SHIROBAKO』ほどこだわっていないのがややもったいないかなとも感じた。ただ、この映画の場合は、制作全体の裏側のドラマを見せるのが重要なので、『SHIROBAKO』的な制作現場におけるミクロなトラブルやいざこざを「描く暇がなかった」と解釈した。とはいえ、並澤和奈の起用や両作品とも最終回を大幅に変えるといった演出をしているだけに、細かな制作の話ももう少し見てみたいところではあった。
裏側という点で『SHIROBAKO』が描ききれなかった部分を書いているとすると、柄本佑演じる行城Pと、尾野真千子演じる有科Pをこれも対照的に演出しているところだろう。視聴者数という結果を重視した上で瞳を利用することに余念のない行城と、自分じゃなければ王子を再生させられないという信念を頑固なまでに持ち続ける有科。絵を描く上でスキルや能力は当然重要だが、コンテンツとして見た時には「いかに売り出すのか」が重要になる。こうしたマクロな視点は『SHIROBAKO』の魅せられなかった領域なので、とりわけ柄本と尾野それぞれの演技力の高さも相まって最後まで面白く眺めていた。
今回斎藤瞳をあえて地味めな見せ方にしたのは、柄本佑を悪者にするためでもあったのだろう(あと制作デスクも)。その瞳も最初は多くを語らない代わりに、制作の過程で本音をぶつけ始める。吉岡里帆のそういうところが見たかったんだ、という演出はファン的にも楽しいし、作劇的にも狙っていたものなのだろう。魅せるべきところで魅せられなければ、良いコンテンツを作っても届かない。それを瞳が自覚するまでのプロセスを2時間費やして一気に駆け抜けるのが、この映画の醍醐味だったと思う。
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