見:ホール・ソレイユ
今年観た二本の韓国映画、『1987』と『国家が破産する日』のほぼ中間の時代という認識を持ちながらこの映画を眺めていた。社会全体が変動の空気に包まれていた80年代が明けたが、かといってすぐに明るい未来はやってこない。男尊女卑や家父長制など、いまもまだ韓国に残るこれらの慣習(日本も他人事ではないが)は、この映画でも色濃く描写されている。こういう社会では、子どもの、とりわけ少女の立場というものはあまりにも弱く、儚い。それが特別な季節であったとしても、だ。
ウニと呼ばれる中学二年生の少女の目に映る1994年とはどういうものだっただろうか。もちろん、時代という巨大なものを直接的に描くことはしない。クライマックスは別として、多くのシーンでは時代を象徴する出来事、例えばアメリカワールドカップ(日本はドーハの悲劇で出場していないが韓国は出場している)も、北朝鮮の金日成主席の死去にしても、少女の目にはテレビに映る出来事の一つでしかない。それよりも彼女にとっては、友人や後輩との語らい、彼氏との小さくて幸せな時間、カラオケ、クラブ、たばこや万引きといったちょっとした悪事などなどが、生活を形作る。
その生活は、ひとときの楽しさや歓びがあったとしても、基本的には息の詰まるような日々だ。だから女友達や、学校の後輩、別の学校の彼氏などとの親密な時間はとても大切で、そこが優しい時間であってほしいとウニは望んでいる。それは半分は満たされるが、半分は満たされない。様々な事情や、あるいは権力的な構造が、ウニにとっての優しい時間を侵害する。彼女は親密さを単一な関係性(たとえば異性愛)ではなく、複数性を持つものとして手に入れようとした(同性愛に近い感情を含んだものと、異性愛のいずれをも受け入れる)。そして、そのウニの狙いと挫折の隙間に入り込んでくるのが、漢文塾に新しくやってきた大学生アルバイトの、ヨンジ先生だ。
ウニとヨンジ先生との間の関係性をめぐる描写と演出がこの映画の半分くらいの意味を占めていると思うのだけど、はちどりを観る前に『1987』を見ていた意味を改めて感じる。あの時代の少し後の物語だけど、希望がたくさんあるというよりまだまだ不安が大きい、韓国社会にとっての過渡期の時代が90年代前半のように思えた。87年の翌年にはソウルオリンピックを経験しているし、民主化というものはそれ自体が、激動な過渡期である。
ヨンジ先生のキャラクターについて少し言及すると、『言の葉の庭』のように、年上の女教師の魅力と謎を両方兼ね備えた存在でありつつ、ユキノ先生ほど饒舌には語らせないところが絶妙だと感じた。語りすぎてしまうとキャラクターが出来上がってしまうけれど、パンフレットを読む限りいろいろなイメージをヨンジ先生に表象させたかったのだろうと受け止めた。
ヨンジ先生がウニに対して、上から目線で可愛がったり助言をしたり人生相談に乗ってあげるといった上下の関係ではなく、自分自身の苦しみを隠さず、自分が嫌になるときがあってもなんとか最善を尽くし、自分にできる話を分かち合うひとりの仲間のような存在であることを望みました。
それはウニに対するヨンジ先生の態度というだけではなく、私がこの映画に反映させたい態度の在り方でした(中略)ヨンジ先生の態度は、世界に接するこの映画の態度の反映であり象徴だと言えると思います。(日本版のパンフレットより)
彼女は年齢的に70年代生まれで、ウニが94年を覆う巨大なものをみつめていたように、ヨンジ先生は激動の80年代を見て来たし、生きて来た。ソウル大学を休学していることが途中で明かされるが、その経緯や、彼女の本来の学年など、付随する情報は出さない。確かにここは『言の葉の庭』で新海が試みたこと、すなわち年上の女性は一見魅力的に映るが、当事者の立場になるとあくまで弱くてもろい、一人の人間でしかないことがキャラクターに投影されている。そして彼ら彼女らはいまもまだこの社会で、世界で苦しみとともに生きているということは、『82年生まれ、キム・ジヨン』を通してすでに多くの人に知れ渡っていることでもある。
本当はヨンジ先生もユキノ先生のように涙を流したかったかもしれない。二人とも、少しずつ自己開示をすることで年下の友人と親しくなるきっかけを作った。なぜヨンジ先生は涙を流さなかったか、なぜヨンジ先生はウニとの関係を断ち切ってしまったのか。残された謎と悲しい出来事を思うことが、よりこの時代の韓国社会であったり、この時代に弱い立場で生きて来た多くの名もなき人たちのことを思うことにつながるのかもしれない。
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