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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Amazon Prime Video
Info:filmarks/映画.com


 見るからに売れてなさそうな映画監督?が映画を撮る話かなと思ったらキャストの若い女の子やマネジャーを怒らせちゃうし、そもそも撮ってる映画が面白い感じがしない。あとなぜか急に森で死体を運んでいたり、別の死体を見つけたりする。かと思いきや、郡山の自営業の人が廃業する話があって、放射能というワードもでてくる。

 こういう風に、とにかく脈絡はないけど、「日常生活がうまくいってない」人の話にしようとしているのかな?と思いながら見ていた。あと、あえて棒読みの演技の人が多いね。いい意味で大雑把。会話劇というより、ほんとにただ喋ってるだけ、みたいな感じだ。あえてストーリーを作ろうとしない試みを行うことで、2時間20分という長い映画にもなっている。あと、こういうあえての棒演技をさせると松本まりかがすごく魅力的に見えるのは気のせいじゃないような気がする。

 全体的に会話だけをロングショットで組み込んいる。そうすることでフィクション化すること、映画的であることをあえて避けようとするのは濱口竜介の『親密さ』や『ハッピーアワー』を思い出しても良いかもしれない。今泉映画でものちに撮ることになる『愛がなんだ』や『窓辺にて』がこの系譜に当たるかもしれないが、それらよりもずっとストーリー性にこだわりがない一本になっている。

 原田青葉(松本まりか)という、東京で映画女優をやっているキャラクターが映画の中盤どころから登場するが、「彼女しか知らない事実」がこの映画の後半で大きく幅を利かせてくる。この配役に松本まりかを起用しているのがとてもいい。今泉は毎回多くの若手女優を起用しているが、『猫は逃げた』だと山本奈衣留、『窓辺にて』だと玉城ティナのように、今回は松本まりかが印象を強く残し、かつキーとなる役を上手く演じているのだ。『六番目の小夜子』の時代から松本まりかは見ており、彼女はもはや若手ではないわけだが、かと言って(おそらくいささか童顔なのも手伝って)ベテランぽさを見せない。透明さを残したままキャリアを積んでいる珍しいタイプの女優だろう。

 映画後半の展開、郡山で廃業を決めた太郎のもとを訪れる青葉は、傷を回避しない方法で会話を続けようとする。最初のうちは嘘を混ぜるが、会話のなかでおそらく翻意したのだろう、途中からは実際に自分が目撃した出来事を「率直に」彼女は語る。その率直さが会話の場を混乱させることもあるが、彼女は自分一人で抱えられないし、抱えないほうがいいと悟ったのだろうと思う。会話の間合い、反応のいびつさ、表情の不確かさ。それらは無論、「噛み合わない会話」の副産物である。

 とはいえ、「噛み合わないことの確認」を青葉はおそらく期待したのだろう。自分が自分の経験した出来事を語ることで、この会話の参加者(太郎以外は女性たち)からもまた、自分の恋人であった次郎のことを話してくれるはずだ、と。それは必然的に「自分の知らない元恋人の姿」であるだろうから、実際に起きた出来事の重大さに比べると、青葉の内なる高揚感のギャップがとてもユニークでもある。

 しかし今泉映画にしては比較的長い本作を見て、結局何を感じればいいのだろうか? 噛み合わない会話? 共有できない過去? 語りの中の虚構と真実? あえて明確なストーリーを提示せずに、会話を組み立てることだけを提示したこの映画はつまるところ、「話すことしかできない」という諦めと、期待なのだろうと思う。

 言葉にして口にすることで失うこともあるし、傷つくこともある。他方で、初めて気づくことや得られることもある。加害性と達成感と、癒し。人間の会話には、日常的にそれらの要素が混ざりあっているもので、切り離せないものなのだ、と提示したのだろう。だろうか?


◆関連エントリー
関係性があいまいでコミュニケーションが不足している男女たち ――『愛がなんだ』(2019年)
目立たない男たち、ユニークで強気な女たち、そして気ままな猫 ――『猫は逃げた』(2022年)
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正統な今泉映画としての高木さん ――『映画 からかい上手の高木さん』(2024年)
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