見:U-NEXT
Info:filmarks/IMDb/Letterboxd
U-NEXTにて。冒頭の戦闘をかいくぐったフューリー班が部隊に合流し、それと同時に新人の若者ノーマンがフューリー班に合流するところが本編のスタート。ピッツバーグ出身だというノーマンだが、彼だけが異様に若くて、軍隊経験もない(徴兵?)という位置付けになっている。顔も色白で、明らかに戦争に向いてない表情で登場する。
他方でブラピ演じる軍曹はめちゃくちゃ渋い。渋くて頼れるみんなのアニキって感じで、いかにもアメリカ人好みな気がする。そしてノーマンの市民性、つまり人を殺すことにものすごく抵抗感があり、良心を失いたくない! と叫びノーマンを軍曹が「教育的な指導」を課すプロセスが物語の重要な核になっている。一人虚空に叫んでいたノーマンが、戦場の中で否が応にも「適応」し、そして青白い表情が砂や灰、泥にまみれた顔色に変わっていくのが印象的だ。
映画で描かれるのは人を殺す「訓練」だけじゃない。物語の中盤に「戦場のロマンス」を挟み込むのはちょっとずるいきがするが、戦争や軍隊というホモソーシャル空間において、女性をどう扱うかというのも共通の関心事になってくるわけだ。わかりやすい性暴力を振るう訳ではないけど、押し入った住宅で出会った民間人の女性とセックスするノーマン。ちょっとしたロマンスの描写は、すぐにかき消される。ここは戦場だからだ。そしてセックスに成功したノーマンが、仲間から讃えられる構造も描く。
この幕間的な場面ではもう一つ重要なシーンがある。食事の前にお祈りをする場面があるのだ。ここで、祈りの場面では一瞬人種や国籍がなくなっている。軍人も民間人も、敵も味方もない。ただ神(キリスト)に祈るだけ。でも、祈る行為をした後にはまた人殺しをしなければならない。戦場に戻らないといけない。自分が生き残ったことは幸福として感謝するが、殺した人間のことは完全に忘れられる。これも一つの戦争の現実なのだろう。ノーマンが軍曹に教えられることでもあるけど戦場で大事なことは「まず自分が生き残ること」であり、生きのびたことに感謝するのだ。神に。そうしないと戦争を続けられないから。
映画の予告編ではやたらと「男たちの固い絆」だとか「勇気ある5人」といった表現がされているが、そういう予告の作り方は映画をエンターテインメントとして消費しよう/させようとするからそうなるのだろう。確かにエンタメには違いないし、フィクションにも違いない。だが、フィクションの中に描かれた戦争と平和のあまりにも大きな差異、人の命の価値というものをじっくりと考えさせられるところにこの映画の意義があるのだと思う。狭くて暑苦しい戦車の中にカメラが密着するからこそ、最後の瞬間まで見逃してくれない。
そしてノーマンが見せる最後の表情に、命の価値を考える時の複雑さが現れている。生き残った者の価値は、死んでしまった者の命を下敷きしているということ。これこそが元軍人でもあるデヴィッド・エアー監督の表現したかった、戦争のリアリズムなのだと思う。


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