Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:ホール・ソレイユfilmarks

 監督の姉が大学時代に統合失調症を発症する1983年から、がんに罹患した姉が亡くなる2021年というめちゃくちゃ長いスパンのヒストリー(映像自体は2001年から)なので、どこでどうすればよかったのかについては無数の選択肢があったと思う。ただ現実的に実行出来た選択肢がどれほどあったのかはわからない。映画では直接的に触れられていないが、1983年はまだ「分裂病」の時代で、宇都宮病院事件と同じ年だということもまた踏まえなければならないと思う。もちろん、これらを踏まえても「唯一の答え」は出ない。いくつかの選択肢が残されるだけだろう。

 一度だけ、監督が父親に対して「精神科に入院させた場合、虐待を恐れたのか」と問う場面があるが父ははっきりノーという。しかし、どうすればよかったかという問いにははっきりと答えずにはぐらかす。おそらくこの姿勢(明確な選択や行為をするのではなく、家庭内で幽閉しながら、曖昧な態度を続ける)を貫いたのがこの家族の光景だったのかなと思った。

 姉と母が亡くなったあとのインタビューで父は「失敗ではなかったと思う」と答える。つまり全くなにもしなかったのではなく、思慮の上で選んだチョイスだったから失敗ではないとの認識が父にはある。この認識はどうすればよかったか? という監督の問いを無効化することにもなっている。監督からすると、自分の両親は姉に対して「何もしなかった」のだと見えている。しかし父としては「こうするしかなかったが、失敗ではなかったのだから良かったのではないか」という認識を持っている。この溝が、映像の最後まで埋まらないと言う意味では家族という名のグロテスクさを示していた。

 弟である監督からすると、変わってしまった姉を積極的に治療する選択肢を奪ったのは両親だと認識しているのだ。だからこそこの認識の溝が最後まで埋まらないということは、映画のタイトルである「どうすればよかったか?」という問いが完全に無効化された状態でエンディングを迎えてしまうことになる。ゆえにこの家族に30年間に起きていたのは、弟の問いを無効化していった時間であり、家族という最も身近な他人との間に形成される認識のズレが最後まで埋まらないままだったという構図だと思う。その構図を撮影し続けていた映画だった。

 詳しくは語られないからなんとも言えないが、前述したように1983年という時代だからこそ起きてしまった家族の光景なんじゃないか、という思いが最後まで拭えなかった。どの時代にどの国のどの家庭で生まれるかを人が選ぶことは出来ないが、1983年の日本というのはこの家族を何らか意味づけた気がするのである。

 それでもこの映像に意味があるとすれば、この映像をバラバラの記録映像としてではなく、一本のストーリーラインが貫通している「ドキュメンタリー映像」として提示することができたことなのだろう。そして、その完成までのプロセスは監督にとっての「セラピー」だったのだと思う。自身の内部感情を外部に表出する作業のことを、心理療法では「外在化」と呼んでいる。



 自分自身が10代だった時代から中年期を迎えた現在まで約40年間抱えて来た問いは無効化されてしまったが、自分の心の中だけに抱えずに外に出すことができたのは、それだけで何らかのセラピー効果があったのだと思う。「どうすればよかったか?」は姉に対してでもあり、監督が自分自身に対して呼びかけた問いである。姉に対しての問いはしばしば無効化されたとすでに述べたが、監督が自身の人生の多くを費やしたこの仕事は、監督自身にとって大きな意味を与える問いであったのだと、そう思いたい。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット