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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:ソレイユ・2

 去年『14歳の栞』が全国的に再上映されたこともありようやく見られて嬉しかった記憶があるが、その時にはこの映画の予告が確かにあったと思う。NHKの特集に詳しいが、今回は監督ではなく斎藤工の側に企画とアイデアがあり、それを竹林監督に持ち掛けた形で撮影が実現したようだ。



 7歳〜19歳の背中を映しつつ、タイトルにもあるように「家」という場所性とか「施設」というコミュニティを撮るのがメインなのだろうと思った。だから細部にはこだわるけれど、プライバシーも絡むライフヒストリーには深く立ち入らない。むしろ細部しか映していないのではないかとすら思う。朝の起床、朝食、歯磨き、登校や下校、夕食、就寝……日中は基本的に皆学校で過ごすため、平日は朝と夕方以降が生活の場面として描かれている。

 逆に休日は日中も施設で過ごす場合が多い。職員と一緒に料理をしたり、子ども同士で口喧嘩をしたり、あるいは卓球や野球などの活動や試合に出たり。それをちゃっかり職員が見に行っている点も含めて、拡大家族的な空間が映し出されていることがわかる。それに近いことを口にする子どももいるが、実際は血のつながらない他人である。職員もそうだ。でもただの他人かと言うと、そう断言する子どももまたいない。そうした空間として児童養護施設が「認識」されていることが描写されている。

 最後に登場する19歳の大学生(スミス)はちょっと例外的だけど、ノンフィクションを物語化しない方針は良かったと思う。そして、あえてバランスをとっていないとも感じた。子どもが90名、職員120名と紹介される場面があるが、個別のインタビューを受けている子どもは男女合わせて10人ほどだったと思う。『14歳の栞』がもったいないなと思ったのは、あるクラスを舞台にしたせいでそのクラスのメンバーのバランスを気遣ってしまった点だ。結果として一本の映画としてはやや散漫な出来になっていた部分があった。

 撮影は先ほどの細部を映す点とも共通するように思うが、今回の撮影では施設全体を映すことは始めから試みていない。そのため、登場する子どもも職員も、限られた人数だ。ゆえにその限られた人数をサンプルにして大きな何かや社会的なメッセージを訴えることもしていないと思う。その代わりにこの映画に込められたメッセージがあるとすればやはり、背中を映し続けたことだろう。

 背中を映すということは、他者の目線を導入しているということだ。とりわけ映画の中盤から個別にも密着される中高生男子たちが挑む立山連峰登山の映像は、まさに背中を映し続けていた。子どもたちの語る言葉ももちろんそれぞれに意味を持っていたと思うけれど、言葉を発さない場面、例えば登山の背中、バットを振り続ける背中、一人暮らしの準備をしている背中なども強く印象に残っている。こうした多種多様な背中を等身大の姿で見せられるのは映画の良いところだ。終始ノーナレなのもいい。ナレーションが入ってしまうと、とたんに「物語化」してしまうからだ。

 ルックバックには「過去を振り返る」という意味もあるらしい。あのマンガと映画もそうだったが、この映画もまさにそうだろうなと思う。それぞれの子どもたちが複雑な過去を持っているはずで、それを振り返る場面もある。過去を受け入れている子どももいれば、葛藤やもやもやを抱えた子どももいる。でも、そういうものなのだと思う。特に自由でもなければ身体も小さく経験の少ない子どもにとって、生きていくということは容易ではない。それでも守られる場所があれば、生きていける。それが血のつながりのない人たちであっても、守られているという環境が重要なのだ。

 去年の春に児童福祉法改正があったが、改正前までは18歳問題が常に児童養護施設の一つの壁として立ちはだかっていた。だからこそ、過去の先にはちゃんと未来がある。そう信じられるように、7歳から19歳までの様々な背中を映し出したのではないか。そしてもちろん、その未来を信じさせる責任は大人たちの側にあるのだろう。
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