Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



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 『ビフォア・サンライズ』の続き。あれから9年後、作家となっていたジェシーはウィーンでの一日のことを本に書き(一部はごまかしたとのこと)、新刊の発売キャンペーンやサイン会のために世界を旅していた。そしてフランスのパリに到着した彼のもとを、9年越しにセリーヌが訪れる。イベントの後に二人は歩きながら会話をし、あるカフェに入る。ジェシーは今日中に空港に戻って移動するとのことで、前回よりも圧倒的に短い時間を共有することになる(そのせいか、映画も80分であり、あっという間に終わる)。

 まずジェシーとセリーヌの会話で目につくのは、あの夜にセックスをしたのかしていないかだ。映画の中ではしていないわけだが、ここは要は「セックスしたことに特別なロマンを感じる男」と、「キスだけで終わったけど、それがとても美しかったと感じる女」の恋愛観の違いが際立つシーンである。

 なんとなくではあるが一般的に男の方がセックス、特に「女性を初めて抱くこと」に重きを置いている気がする。「フィニッシュ」という表現もあるように、「最後まで性行為すること」にこだわる人が多い印象だ。女性の場合は逆に感情的な繋がりを重視するとよく言われるが、セリーヌのようにキスだけでも、キスだけだからこそあの夜の日のことがすごく濃厚な記憶になっているのかもしれない。唇同士が触れて絡み合うことで、心の距離が一気に縮まる感覚は女性の方が重視している気がする。

 そしてあの時はまだ大学生だったセリーヌも、9年経つと「たくさんのセックスを経験して男の繊細さをちょっとめんどくさいと思っている」キャラになっているのが面白いなと思った。ソルボンヌ大学を卒業したあとにニューヨークの大学院にいたというセリーヌだが、なんとなくジェシーとは連絡をとらなかったという。ここには彼女の複雑な心理、あの日の夜の特別さを閉じ込めておきたいという感覚が強いのかもしれない。でもだからと言って過去を単に懐かしむんじゃなくて、歳を重ねたがゆえの、30代になったがゆえの会話を楽しんでいるのがとてもいい。

 すでに既婚者で子どももいるジェシーと違い、セリーヌはまだ独身だ。その上でセリーヌが話題にする女性の経済的自立と男性の役割の変化という話題は、現代にも通じるテーマだと感じるし、ちゃんと第三波フェミニズム「以降」の映画と言える。あるいは、ポストフェミニズムと言ってもいいのかもしれない。男性に養われなくてもいい、でも愛する人は必要よっていうセリフは、2004年よりも2025年の20代や30代の女性にかなり刺さると思う。アメリカやヨーロッパの事情は分からないが、少なくとも日本の観客に受け入れられやすいのは2004年よりも現代だと思う。

 途中で「お互いだいぶスレたね」っていうセリフもあったけど、多分より「現実的な生き方をしているね」ってことなんだろうと思う。ただ過去付き合った男たちに一度もプロポーズされなかったとジェシーに愚痴るセリーヌの感情を思うと、「スレるしかなかった」のかもしれない。「スレるしかなかった」9年間と比べると、なおさら20代のウィーンでの一晩が、より一層特別でキラキラして見えるのかもしれない。

 これをただ単に切ないと言っていいのかどうかは分からない。すでに結婚しているジェシーのことを嫉妬している気持ちは隠せていないからだ。結婚生活への憧れを持っていないのは『サンライズ』でも明確に語ってたと思うし、その気持ちはおそらく変わっていない。でも愛する人は欲しい。結婚という形じゃなくて、恋人という実存が欲しい。愛する人からの承認が欲しい。ここまで一人で努力してきた私(セリーヌ)という存在を、包み込んでほしい。この辺の切なさを丁寧に描写することで、自立した強い女性、個人主義の時代のヒロインを表現したのだと感じた。「良妻賢母」にはならないけど、でも一人で孤独で生きていたくはないんだっていうセリーヌの感情を、会話の端々に込めている。

 『サンライズ』の時はジェシーがセリーヌを茶化すように下ネタを仕掛けていたのに、今度はむしろセリーヌが自分の過去を振り返りながらジェシーに下ネタを仕掛ける場面が多い。ここもまた一つの第三波フェミニズムやポストフェミニズムの流れを見ていいのかもしれないが、それ以上にセリーヌという一人の女性の人生を思うこととなるのが『サンセット』だったと思う。もちろん「結婚という形」を手にしたジェシーにも悩みや問題はある。しんどいのは自分だけじゃない。それを分かっていても、自分とジェシーとの間には「昔とは違う」という感覚だけが強く残される。

 この切なさを最後のタクシー車内でずっと引きずっているからこそ、最後の10分の展開になったのだと思う。タクシーに乗り込む前のセリーヌは、まさかこんなことをするとは思っていなかったのではないか。それでも、この時の彼女を突き動かしたもの、それはやはりジェシーという存在であり、彼と過ごした思い出のきらめきだったのだと思う。だから最後に二人が浮かべた笑顔がとても愛おしいし、切ないのだ。

 そして改めて、少し前の映画を見る面白さがあるなと思った。『ビフォア・サンライズ』を見た時、これは携帯電話やインターネット以前の映画だなと思ったように、現代的なポストフェミニズムの文脈に重ねることができるのは、『サンセット』を2004年じゃなくて2025年に見る観客の特権だと思う。いつ見るのか、自分が何歳の時に見るのか。全ての映画がそうじゃないと思うけど、この映画はそういう「見るタイミング」がすごく重要な映画だったのだろうと、強く思う一本だった。




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