見:Jaiho
悪い意味ではなく素朴な感想として、「変な映画だな」と思った。4つの会話劇がバラバラに提示されることと、夏の終わりらしいこと(8月31日から9月1日にかけての一夜)だけは分かる。つまり、4つの異なった場面においてすべてが一幕劇のような、始まってから終わるまでを見せつけられる映画だと思った。100分というコンパクトな構成だからこそ、こういう一気通貫のような映画ができるのでは、と。
しかし実際は単なる一幕劇×4というだけでなく、4つの場面がクロスする、つまり独立して存在しているのではなくて、クロスすることを前提として4つの場面が提示されることに気が付いてようやく「栄華的に」なっていくなと感じた。これが演劇ならばこういう場面転換は難しいかもしれない。映画だからこそ移動がリアルに描けるのだということを見せつけてくれている。逆にこの前見た『水深ゼロメートルから』に関してはほとんど移動しないことを前提として作られているので、非常に「演劇的な映画」だなと感じたが、『明ける夜に』の場合は移動することが重要なキーになってくる。
なぜ彼ら彼女らは移動するのか。なぜ、一つの場所にとどまらない(とどまれない)のか。それは、決断あるいは選択が迫っているからだ。今日のうちにやった方がいい、あるいは今日のうちにやらなければならない。もしくは、今日だからできることがある。いずれにしても、複数の状態から何かを選択すること、あるいはAという決断を実行することにフォーカスが当たってゆく。会話劇から始まる、心理的なドラマが待っている。
同時に、夜が明けてほしくないと思っているキャラクターもいる。関西弁の就活生が典型的で、彼女は最初から最後まで饒舌だが、自分が何者なのか、過去に何があったのかについては詳しく語らない。会話の中でほんの少しだけ話しはするものの、それが本当かどうかを確かめる術はない。はっきりしているのは「誰かに話したかった」ということだ。誰かに話したい、誰かと話していたい。それが心地よい時間ならば、終わってほしくないと願うのも自然なことだろう。彼女の最後の告白が本当かどうかは重要ではない。その告白もまた、「終わってほしくない」から。と同時に、「終わらせないといけない」と思ったから出た言葉だと思う。
童貞のコンビニバイト青年や、ライトフライを捕れなかった元野球部員のように、客観的に見ると不格好な告白をするキャラクターがいるのも良い。青春はきれいなものじゃなくて、もっと泥臭いものだし、泥臭くていいと思う。その時代、その瞬間だからこそ存在した感情を映画の中に閉じ込めることによってそれぞれの形でそれぞれの夏を終わらせた、「変な映画」なのに心地良くもある、非常に不思議な100分間だった。
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