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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Amazonビデオ

 半年ほど前だったかと思うが高松で公開当時、体調がいまいちだったこともあり映画館で見に行けなかった一本だった。しかし見終えてこれは映画館で見たかった感じの映画だと思った。最初から最後まで常に何かが起こりそうで、それでも最後まで起きない。そう言ってしまえばそれだけなんだろうけど、それだけのことを一本の映画に仕立て上げるとこんなに美しくなっちゃうんだなあ、というのが素直な感想である。

 11歳の娘ソフィと、31歳の父カラム。二人が過ごすひと夏の映像を、31歳になったソフィが自宅のテレビで再生する、といった構成である。トルコの、そこまで人が多いわけではないリゾート地で過ごす二人はプールや海で遊んだり、山に出かけたり、その他もろもろの観光やバカンスを楽しんでいた。そのいつかは終わる夏を、映像越しにみつめる31歳のソフィが適宜画面に映し出されてくる。

 まず、前述したように「何かが起こりそう」な予感が常に漂っている映画なのである。それはまずソフィとカラムのバックグラウンドが詳しく語られないせいでもある。ソフィがカラムのことをとても好きなのはよく分かる。11歳の彼女は、最初から最後までとにかくキュートだ。だからカラムは娘の前で笑顔を隠さない。それでも、二人が離れている、つまりカラムが一人で過ごす場面の多くは、暗い。暗い画面の中で、暗い表情をしている。時には嗚咽まじりの涙を流すカラムが画面に映し出される。なぜなのか? それもまた、詳しくは説明されない。

 詳しく説明されない事情があるにせよ、ソフィの母親(映画では常に不在だが)の存在は随所に匂わされている。何らかの事情でカラムとソフィ母は別居している。すでに離婚しているのかどうかはよくわからないが、あくまで別居で会って死別ではなさそうだ。そうすると、このひと夏は絶対にいつか終わることもまたすぐに分かる。夏がいずれ終わる。今、この瞬間を存分に楽しんでいるソフィに対して、「いつか終わる」ことが頭の中から離れないカラム。時間が進むにつれて、この二人の感情のギャップは際立ってゆく。

 それでもこの映画を美しいと思えたんのは、対照的な二人を映し続けたからだ。ソフィがカラムに同情することもない。他方で、カラムがソフィに何か危害を加えたり、ソフィの感情をもてあそんだりすることはない。二人が家族として、親子として愛し合っていることはよくわかる。たとえ「いつか終わる」としても、二人の間に流れる愛情は本物だろう。そしてそれをとても美しいものとしてこの映画は表現しており、素晴らしかったと思う。

 夏になったらもう一回見てみたいかも。夏の終わり、8月か9月くらいに。すでに大人で30代の自分は、カラムの気持ちに感情移入しやすい。終わりの予感は、大人にとっては常に残酷だ。それでも。


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