Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 Netflixで配信されている『LIGHTHOUSE』という番組を少し前に見ていた。

 

 これは星野源とオードリーの若林の二人が、佐久間Pのセッティングに応じてそれぞれの悩みについて語り合うという番組だ。ある時はホテルの高層、ある時は車内でドライブしながら、といった形でトークのシチュエーションは毎回変わっていく。同じ二人の会話を経時的に記録するという観察の側面に加え、場の違いで会話に違いは生まれるのか? がこの番組の仕掛けと言ってよいだろう。

 いろいろな反応を見ていてまず目に留まったのは、書評家の三宅香帆のコメントだった。



 このツイートを見た後に番組を見始めたと記憶しているが、星野にも若林にも共通しているのは「浅い共感」だなと思った。どちらかが吐露した悩みに対して、「わかる!」とか「あるある!」といった反応はするものの、三宅が指摘するようにそれ以上掘り下げることはあまりない。番組後半では少し深堀りが見られたかなとは思うものの、星野も若林も最終的に納得を示す。

 つまり二人とも、ひととおり話し終わったら、そこで完結させてしまうのだ。少なくとも自分にはそう見えた。しかし吐露した悩みを語り合ったてもその後に完結するとしたら、その悩みはそれほど重要なものではないのでは? とも思えてしまう。語り合っただけでは解決できない深い悩みについて、二人は話していないのではないか。もしかしたらそういう場面もあったかもしれないが、編集の都合でカットされたのかもしれない。二人のトークのフルバージョンを確認する術がないため、この辺については想像でしかないが。

 深い悩みの言語化は、おそらく実存的な不安ともリンクする。しかしながらある程度の成功をつかんだ二人にとって、深い悩みは現実的ではないのだろう。自分のことは語るもののパートナーの話が多く語られることはないし、ましてや子どもの話(子どもがいるのは今のところ若林だけだが)も少ない。だから自分を中心に考えていれば、深い悩みを言語化する機会は少なそうだ(若林が何度か語る、後輩芸人との差異化の話は発展性があったと思うが)。ゆえにこの二人にとって、「浅い共感」こそがニーズにマッチしたのだろう。

 また「浅い共感」がキーになっているのは、星野も若林もある程度自分の中に答えを用意しているからとも言えるだろう。悩みを話しはするものの、その悩みに対する対処はすでに考えている。だから悩みと対処法までがセットになって語られることで、「浅い共感」を誘発する。語りながら笑いも多く出るように、深い悩みではないからこそカジュアルな共感を得られやすい。また、「浅い共感」を誘発するような話題のほうが言語化しやすい(口に出しやすい、のほうが適切かもしれない)。

 個人の内面をエグるような内容のほうがエンタメとしては面白いかもしれないが、終始「浅い共感」が漂うこの番組構成には似合ってないのだろうなと思った。そうした会話はもっと別なところで行われているのかもしれない。少なくとも、公開の場では限界があるのかもしれない(不可能ではないだろうが、構成の都合に依存しそうだ)。

 全6話のまとめとしては、「浅い共感」は悩みの解決のために有効とは言えないことだ。少なくとも星野の場合も若林の場合も、「悩みの解決には自分が努力するしかない」という答えに行きつくからである。ただ同時に、内面を吐露するための会話を円滑に進める手段として、「浅い共感」は一定程度の有効性を示していた。「似たような悩みを抱えている人は自分だけじゃないんだな」という納得を生む効果を「浅い共感」が持っているだろうことも、星野と若林の語りが示している。


*********

 話がだいぶそれたが、こうした「浅い共感」は日常会話には満ちているよな、とも同時に思いながら見ていた。日常会話の中で、「あ、わかる!」とか「そうだよね〜」と言ったやりとりは、珍しいものではない。そのためこの番組は、番組として作られてはいるものの日常に寄り添った番組かも、という気さえした。

 この番組を見ていて思ったのは、「自分は人の話をどのように聞いているのだろう」だった。ネットでもリアルでも、「聞き上手だね」と言われることが多い。古い記憶では高校生の時にはすでにこう指摘されていたので、気づいたら身に着けていたスキルというか、自分のスタイルだろうと思う。しかしながら、気づいたら身に着けていたがゆえに、普段明確に自覚することはない。要は普通にやっているだけ、だからだ。強い自覚のない行為を言語化することは難しいが、自分の行為を振り返りながら今回意識的に少し書いてみようと思う。

 あくまで、少し。と言うことで今回は2つのポイントに焦点を絞る。

1.他人の話をちゃんと聞く(アクティブ・リスニング)

 まずは話をちゃんと聞くことである。そらそうだろう、というツッコミがきそうだが、ちゃんと聞くのが大事なのである。これは以前読んだ『LISTEN』と言う本の受け売りだが、多くの人は他人に話を聞いてもらえていない。なぜならば多くの人は話したがりだからだ。また、「人の話を聞く」のには一定の技術が必要だからだ。



LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる
ケイト・マーフィ
日経BP
2021-08-05




 ゆえに、ちゃんと聞くことはそもそも簡単なことではない(のだと思う)。自分が話をちゃんと聞くために実践しているのはシンプルに、静かに耳を傾けることと、相手の話を否定しないことだ。前者は聞いてますよと言う意思表示であり、後者は相手の語りを受け止めているよ(跳ね飛ばさないよ)という意思表示だ。

 これらを実践するだけでも、相手は安心して話ができるのではないかと思っている。もちろん、自分と相手(話し手)との関係性に大きく依存するので、例えば初対面でうまくいくかというとそうではない。そうではないものの、実践する価値はある。なぜならば初対面でこのような姿勢を示すことで、2回目以降に相手の話を深く聞く機会を得やすいからだ。

2.自分の話をする(自己開示)

 人の話を聞くために自分の話をするのは矛盾していないか? と言う指摘を受けそうだが、矛盾はしていない。ただ、これはタイミングというか、スムーズな流れで行わないと失敗しやすい。例えば相手がもっと話したい場面で自分の話を長く続けてしまうと、相手の話したいという気持ちを冷却させるかもしれない。このあたりは会話の中の流れや相手の表情や反応などを観察し、それらを読む必要がある。

 自分の話をすることが重要なのは、自己開示が会話を進めるためのキーになるからである。医者やカウンセラーといった専門職は別として、相手の素性がよく分からない場合に人は自分のことを詳細に打ち明けられない。話し手にとって、聞き手がどのように会話を受け止めるのかの保証がないからだ。例えば自分が話した内容をすぐに他人に暴露する可能性がある人には、深い悩みを打ち明けることはできないだろう。

 あなたに何か聞きたいことがあるとする。例えば学生時代はどういう生活をしていたのか、以前交際した恋人はどういう人だったのか、今の仕事の悩みはあるのか……などとりあえず何でもよいが、聞きたいことがあるときにそれをストレートでぶつけるのが好ましくない場合がある。とりわけ初対面の人、全然知らない人に上記のような質問をされたらどうだろうか。相手は採用面接を受けているような錯覚を覚えるのではないだろうか。あなたが面接を受ける立場だった場合、「本当のこと」を面接官に話したいと思うだろうか?

 質問は確かに会話を進めるためのキーになりうるが、それは質問が有効に機能した場合であり、受け手にとってある程度の心地よさがなければならない。受け手が「聞いてくれてうれしい」とか「そう言ってほしかった」という場合なら問題ないだろう。しかし、受け手が「え、なんでいまそれを聞くの」とか「この人さっきから質問してばっかりだな」と思うような質問はおそらく有効に機能していない。その場合、会話は停滞しやすい。質問→回答、でやりとりが完結してしまうからである。あるいは、受け手が質問に答えない場合もあるかもしれない。

 だから相手に聞きたいことこそ自分から話してみるといいと思う。もちろん急に話題を変える場合はワンクッション必要だし、何の脈絡もなく自己開示を始めても相手の脳内には「???」が浮かぶだけだろう。ゆえに会話をリンクさせるためのテクニックは多少必要になると思うが、「話したいことを話すのではなく、まず聞きたいことを自分から話す」を意識するだけでも会話のリズムは変化するように思う。また、会話を続ける中でその深さを掘り下げることができれば「浅い共感」の限界を超えられる可能性もある。あるいはロジャーズの三原則を場面に応じて使ってみても良いだろう。



 もう少し心理学の話を続けるが、心理学には単純接触効果という概念がある。コミュニケーションの繰り返しを続けるだけでも相手に良い印象を与える可能性があるし、逆にあなたが相手から良い印象を受け取る可能性もある。他者と親しくなるために必要なのは何か特別なことではなく、「相手の話をちゃんと聞くことと、聞いたうえでちゃんと話すこと」なのかもしれない。


◆参考





ふつうの相談
東畑開人
金剛出版
2023-08-16






反共感論
高橋洋
白揚社
2018-10-05





このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット