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傷を負った二人の女性、というには非対称な構図ではあるが静かな入り方をする中で中盤から暗転し、最後まで一気に加速してゆく展開は見ごたえがあった。ソウルからは距離のあると思われる小さな漁村を舞台にしており、その土地の交番に所長として赴任するヨンナムが主人公。ペ・ドゥナ演じるヨンナムは、おそらく元いた土地(明言はされないがいくつかの会話を見ているとソウルだろう)で何かしらの問題を起こし、左遷されたようだ。そのため、表情は暗い。明るい表情を見せる場面は、映画を通しても非常に限られている。
そのヨンナムがパトロールに出かけて出会うのがドヒという少女だ。彼女が通っている中学校の生徒たちからいじめられているのを発見する。また、別の日は義父や祖母に暴力を受けている場面を見る。またある日は、ひとり港で学校の制服を着たままダンスを踊るドヒを見る。そうして少しずつ情がドヒに移っていき、ある日からドヒを自宅で匿うようになるが……
歪んでいて未成熟なアタッチメントは、歪んだ形の承認欲求を誘発する。ヨンナムは「成り行き上仕方なく」ドヒを保護することになるが、しかしそれは本来ならば行政や福祉(例えば児童相談所の一時保護所のような機能、あるいは児童養護施設)が成すべき機能だ。一人の個人であり、かつ所長を務めるほどの警察官の人間が行う行為としてふさわしいかというと、そうではないだろう。ドヒが持っている歪んだ形の承認欲求は、大人であるヨンナムの意思決定も歪ませてゆく。一度保護した少女を拒否することは難しいし、ドヒもそれは知っているからだ。
他方で、ヨンナムの中には明確な怒りがあることも彼女の表情からひたひたと伝わってくる。ドヒの家族がドヒを虐待していることは、多くの人が見ている。交番の他の警察官も同様だ。ただ、ドヒの義父であるヨンハは村では有力者で、多くの外国人労働者を雇用して漁業の会社を経営している。ヨンハは酒癖が悪く、酔っているとドヒを殴る。したがって悪いのは酒でありヨンハではない、ヨンハは村のためによくやっている……というのが見立てである。もちろん外部から来た人間であるヨンナムに、この理屈は通らない。
比較的静かな前半と比べると、ヨンハ、そしてドヒそれぞれの「企み」が作動する後半の展開は少し忙しい。これまで主人公格だったヨンナムは、ヨンハとドヒ、それぞれの思惑の中に「巻き込まれていく主人公」になってしまう。それでも表情一つ変えようとしない、本当は言いたいことがもっとたくさんあるだろうに、言わない。言っても変わらないというあきらめもあるだろうし、彼女なりの矜持もあるのだろう。そうした孤高のキャラクターを演じるペ・ドゥナの表情が非常に魅力的である。
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さて、最後まで見終えて感じたのは、ドヒはヴェーネ・アンスバッハだったんだなということだ。歪んだアタッチメントと承認欲求、不在の母と支配する父、涙を流せないまま傷を作り続ける少女の中にある破壊衝動。ヴェーネがレイクと出会ってようやく内側を見せ始めたように、そして同時に依存もしていったように、ドヒはヨンナムに接近していく。美しいヨンナムへの憧れは、同性愛的感情に近似する。そしてヨンナムは、実際に同性愛者だった。
レズビアンが世間から向けられるまなざしの残酷さを表現することも、この映画のもう一つの視点であるがそこはあえてささやかにしか描かない。ヨンナムの過去に何があったのかを、この映画は説明しない。それは前述したように後半はヨンハやドヒが物語を駆動するからで、ヨンナムとは立場が逆転するから、とも言える。また、「レズビアンであるがゆえにそうした立場に追いつめられるヨンナム」を同時に描きたかったのかもしれない。
ヴェーネに同性愛的感情があったかどうかは知らない。ただ、ヴェーネが保護したドリスと、ヨンナムが保護したドヒ。この二つの関係性にも、非常に近しいものを感じる。ドリスもドヒも、自分が守られる嬉しさを適切に表現することができない。一時的なものだとしても嬉しいのに、幸せなのに。ドリスは知的障害ゆえに、ドヒは未成熟なアタッチメントゆえに(そしてドリスもまた、虐待の被害者である)。
ヴェーネでもあり、ドリスでもあったドヒ。彼女の場合、「ハッピーエンドは失われた」のだろうか。それとも、また別の場所で生き直すことができるのだろうか。はっきりと明示されないオープンエンディングは、未来の予感が幸福と不幸の間で揺れ動いていることを暗示しているように見えた。
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