Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



 14と15がシフトの変更で休みになり、16と17とつなげて4連休になった。16は元々夜にごはんの予定だったので希望休を出しているが、14と15は完全にノープランだったため考えた結果、四国半周旅と名付けてドライブをすることにした。前から行ってみたかった愛媛県伊方町の佐多岬と、高知県の端っこである足摺岬へ。
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 岬を目指す旅が遠いものになるとは思っていたが、高速を降りてからも山を登る登る。さすがにこのへんは酷道ではなくてちゃんと整備されているので路面の問題はなかったが、対面通行の山道で容赦なく飛ばす地元民が怖い怖い。ぶっちゃけ高速より怖いのではと思ったが、15日に雨の高速を走行するほうがよほど怖かったので、14日はドライブの練習をした日になった。
 14日に380キロ、15日に330キロ。四国一周で1000キロなので、距離だけで言えば半周じゃなくて0.7周したことになっていた。香川県にいると、四国がこれほど「長い」ことを実感しないので、そういう意味でも行ってよかったかもしれない。近いところほどよく知らない、ということはよくある話だなと思った。
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 走行中は基本的にyoutubeのプレイリストから音楽を流すかポッドキャストを流すかしていた。前者はWi-Fiの切れに非常に弱く、データ通信だと通信料を食ってしまうため、山道や岬を走っている間はポッドキャストを聞いている時間が長かった。音楽で一番流していたのは、最近知ったチョーキューメイの「シナモン」だと思う。あたらよやHakubiもそうだが、はかなげに歌う女性ボーカルにとても弱い(好き)。

 ポッドキャストについて。Spotifyで社会学者の富永京子が個人でやっている「仕事の合間」というポッドキャストがあり、この最新回で「理想的な男女の関係」と言う問いを投げかけられて「ずっと友達でいられること」と答えた話題が面白いなと思いながら聴いていた。
 下記リンクの22分50秒〜最後までがちょうどこの話題に充てられている。



 そしてこの話題はおそらく以下のツイートと関連している。

 

 最初は人間関係についての論文話かなとも思ったが、「異性の友達と友達でい続けることの難しさ」について実体験(すでに会わなくなった人)を交えて富永が語っており、食い入るように聞いてしまった。富永自身の経験に興味があるというよりは、そうした「モデルケース」をずっと探していたからだ。
 男女関係を長く続けるためには、恋愛や性愛や、あるいは結婚のような制度的な形式に移行したほうが「ずっとわかりやすいし安定的」である。逆に言うと、そうではない男女関係はあまり評価されることが少ないし、評価をされないことによって長く続けていくことが難しい場合がある。とりわけお互いが別に親密なパートナーがいる場合は、そうではない異性との関係を意図的に継続することは簡単ではないだろう。

 それでも。それでも、自分が先輩と経験してきたこの10年間のことを思うと、不思議な感覚になる。出会った時から意識はしていた。それははっきりとした記憶があって、当然最初はよく知らないけどこの人と仲良くなりたいな、という思いをかなり最初の時点で抱いたのは覚えている。それが10年前、2014年の12月、もう少ししたら年が明ける頃合いだった。
 先輩には最初彼氏がいたし、その後も何人かの彼氏がいたことを知っている(そしてずっと恋愛相談に乗っていた)。それなりに親しくはなれたものの年齢差もあるし、年下を好むタイプではなさそうだと察したため、恋愛関係への発展は望めそうになかった。その上で自分はこの人に何ができるだろうと考えた時に、「話を聞くこと」と「見守ること」くらいはいくらでもできそうだ、と思った。逆に言うと、恋愛関係に発展する前の男女ができることには限界があるので一線を越えることはない。そして越えたか越えないかもたぶん、さほど重要ではない。重要なのは、自分の態度を一貫させることだと思っていた(いる)。

 わたしはあなたのことをとても好きで、大事だと思っている。だから見守らせてほしい。良くも悪くもこれだけだが、これだけで10年間続いてきた関係がある。富永京子の話を聞いていると、この自分の経験をもっとポジティブに評価していいのかなと思った。
 何もなかった10年間じゃなくて、(性的には何もないが)コミュニケーションをずっと続けてこられた。途絶えそうになった時も何度かあったけれど、10年経ったいまでも会えるし、会ってごはんを食べていられるし、また会おうねが言える。11年目も12年目も続いていくのだろうという、予感だけはある。
 でもこの、次いつ会えるかなという気持ちだけで10年間生きて来たと言っても過言じゃないようにも思う。この予感を握りしめながら、また次会う時にどこへ行こうかを考えることが、とても楽しい。まあもちろん、楽しいことばかりでもないけどね。


 そんなこんなで16の夜に久しぶりに先輩と会ってごはんを食べ、しかしまあいろいろ心配事はつのり、さくっと2時間半で解散した。16も17もそれ以外の時間はほぼ読書をしていたと言っていいかなと思う。
 小説は千早茜の『ガーデン』を読み、谷崎由依の『遠の眠りの』を読んでいた。『ガーデン』の主人公もまた、女性との交流は盛んにあるが性的に関心を持たないキャラクターで、こういう人の話を純粋にもっと読みたいと思った。そのあとフォロワー氏に薦められたマンガ『来世ではちゃんとします』を読み進めている。

ガーデン (文春文庫)
千早 茜
文藝春秋
2020-08-05


遠の眠りの (集英社文庫)
谷崎由依
集英社
2023-03-02


 またどこかで『来世ちゃん』の感想を書いてもいいかなと思うが、性的なコミュニケーションや下ネタが全開のギャグマンガというのはおそらく見せかけで、実は現代的な労働とコミュニケーションの話なんだろうなと思う。
 仕事と趣味の両立、仕事と恋愛(セックス)の両立、職場での人間関係やコミュニケーション、そして「自分と違う他者」の受容のプロセス。下ネタ全開だし濡れ場も多いが、こうした現代的な要素を散りばめることでその濡れ場もリアルになっているのがこの漫画のうまいところだろうと思う。

 そして、この漫画の登場人物は異性愛者や恋愛至上主義者だけではない。女の娘のゲイ(凪くん)も登場するし、アセクシャル(梅ちゃん)も登場するし、レズビアン(セイラ。凪家の長女)も、ソープ嬢(心、梢)も登場する。
 社会で見た時もそうだし、物語の作劇上でも「周縁化」されがちな属性を持つキャラクターを、血の通った人間としてフラットに描いているのが秀逸だ。そしてこうしたキャラクターを、異性愛者の多い空間に違和感なく放り込んでいる。ジェンダー・アイデンティティも、性的指向も人によって違う。社会に存在するのは異性愛者だけではない。恋愛や性愛においてマジョリティではない側がこの社会でどう生きているのかを、カジュアルさと丁寧さを両立させて描くのが抜群にうまいのである。
 フィクションなのにやけにリアルな実感を持たせるのは、キャラクターの書き込みや配置と、彼ら彼女らの人間関係相関図の巧みさにあるのだろうと思いながら、少しずつ読み進めている(現在4巻)。



来世ではちゃんとします お正月初夢SP
飛永翼(ラバーガール)
2022-01-26

 
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