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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Amazonプライムビデオ

 印象的なタイトルには気になっていたが映画館には間に合わず、少し後悔していたところにあっという間にAmazonプライムビデオ入りしていたので見ることにした。期待していたように、一貫してタクシードライバーの役を演じる伊藤沙莉がいい。おそらく新型コロナを意識したのであろう、布製のマスクをした彼女がさかのぼっていく、まだマスクをしていなかった、日々を描いていく。淡々と。

 最初から最後まで本当に淡々としているのがいいなと思った。現在から過去に遡っていくということは、一種の叙述トリック的に伏線が回収されていくのではないかと思っていた。回収される要素もあるが、一つ一つの要素が決定的に重要にもなっていない。最初はほとんど情報のなかった二人、伊藤沙莉演じる葉と、池松壮亮演じる照生との関係性が、過去をさかのぼる中で少しずつ説明されていくに過ぎない。そこに大きな意外性はなかった(もちろん、単に俺が読み取れていない可能性はあるが)。

 監督や制作陣がどれだけ意識したのかは分からないけれど、『花束みたいな恋をした』の逆回転のような映画だなと思った。『花束』はタイトルにすでにあるように、「恋をした」と過去形で語ることで映画の中でこれから展開される恋愛はいずれ終わるのです、と観客に予告している。予告することで、「いったいどのようにして終わるのか?」という問いを共通認識させる映画だ。

 翻って『ちょっと思い出しただけ』というこの映画のタイトルは、すでに終わっている恋愛が、いつどのように始まっていったのか?という問いを共通認識させるような仕掛けがある。しかし前述したように、この映画のいいところは『花束』のようにドラマチックでエモい展開にはしない。夜のシーンが多いからか、どちらかというとチルいとでも表現したほうがよいだろう。ダラダラとしたチルい会話劇は、おのずと青くささが混じった青春劇にもなっていくのだけれど、どこかありふれたやりとりに感じられる。そのありふれた感覚が、ドラマ的な『花束』との良い差異にもなっている。

 過去を思い出すということは、現在の二人に何かしら思い出すきっかけがあったと思うほうがよい。7月26日という日付の持つ意味はもともとは照生の誕生日という程度だったけれど、照生にとっては一生つきまとう日付であり、葉にとっては忘れてもよいけれどどこかで引っかかった日付である。こうした対照的な意味合いは、最後にケーキを食べなかった葉の選択へと引き継がれていく。ケーキを買ってしまったけれど、隣にいる男性にその理由を告げるわけにもいかない。理由を共有しないことで、過去を過去にすることができる。隣にいる彼の知らない、自分だけが占有する記憶として。

 一つケチをつけるとすると、作劇の都合上仕方ないけれど、クリープハイプと尾崎世界観の使い方がわざとらしいところがもったいない。もっと自然に、普通に登場させるような演出でもよかった気がする。他方で、成田凌や國村隼、市川実日子や永瀬正敏など、二人の記憶の脇を固める俳優陣の存在がよかった。短い中で各々が味わいを出すことで、二人にとっての7月26日に彩りを加えることに成功していた。
 
ちょっと思い出しただけ
永瀬正敏
2022-06-11

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