気づけば夏の甲子園も残すところあと一試合という感じになっており、夏の終わりを感じている。気温はまだまだ高いので(東日本はそうではないようだが)、体感的な夏はまだ続きそうだが。今年は東北勢がベスト8に2つ残ったりとか、16強&8強唯一の公立校として香川の三本松が健闘したりだとか、あるいは広陵の中村がホームランを6本放ったりだとか、清宮がいないことや絶対的なエース級の投手が少ないことで開幕前はやや盛り上がりを欠いた印象もあった。とはいえそれこそベスト8級が7校集結した日があったりだとか、ソフトバンクの今宮健太のいた年以来の飛躍を見せた大分の明豊打線だとか、始まってみると話題に事欠かないのも甲子園のなかなかこわいところかなと思う。
このタイミングに合わせてかどうかまではわからないが、山際淳司の『江夏の21球』が角川新書から再刊され、売れているらしいということを知った。発売は7月で、買ったのは8月のはじめ。たしか甲子園が始まる直前に梅田駅構内の紀伊国屋で、だったと思うが、高松に戻って宮脇書店に足を運んでも平積みされていることを見ると、どうやら各地でそこそこ売れている(あるいは売り出されている)らしいことがわかる。「江夏の21球」という逸話は確かに野球ファンとしてはよく耳にするがちゃんと読んだことはねえな、という思いがあったので今回買ってみた。
この本自体はなにかしらの底本があったわけではなく、山際の書いたエッセイやノンフィクションからセレクトした感じのアンソロジーになっており、いまになって改めて編み直した一冊というところらしい。山際は1980年に「江夏の21球」をスポーツ雑誌『Number』の創刊号に寄せており、さらにその文章を含む著書『スローカーブを、もう一球』ではノンフィクションの賞もとっている。95年に若くして亡くなっているので、現役時代のことはほとんど知らないが、この本に触れたことをきっかけに山際淳司を追ってみようと思った。
「江夏の21球」は広島時代の江夏が近鉄と対峙した日本シリーズ最終戦、9回裏に投じた21球を追った文章だ。ただ単に21球のプロセスを追ったというより、江夏がそのときになるまで何を考えていたかだとか、21球にまつわる周辺事情や前後関係を詳細に拾い上げている。拾い上げた上でクライマックスに持っていくというライティングを山際は選んでいる。このすぐあとに収録されている「落球伝説」(こっちには阪神時代の江夏が登場する)でもそうだが、タイトルにもなっているシーンは意外とあっさり描写されたりもするのだが、そのかわりにそこにいたるまでに彼らが何を感じ、何を考えていたのかという人間性の部分をより引き立てようとするのだ。
確かにそうした文章がスポーツライティングを(良くも悪くも)変えたとも言われる『Number』の創刊号に載っていた、というのは象徴的なように思う。いまのNumberのライターで山際と同じレベルの文章を書く人は、サッカー以外では中村計あたりだろうか。ここしばらくのNumberはサッカージャーナリズム的な雑誌になっているので、トータルのライティングセンスは落ちているんじゃないかと思われるが、中村計の文章はもっと読まれてもよいだろう。
話がそれた。つまりまあ、山際の試みるような、スポーツにおけるエキサイティングな瞬間をとりあげるためにその周辺事情を人間ドラマで埋めていくというスタイルは今日では珍しくはない。昔のことはよく知らないし、どちらかというと熱くなってというよりは肩の力を抜いて書いているようにも見える山際の文体には、同時代にそれこそ角川で活躍した片岡義男を思い起こさせる。肩の力は抜いているが、山際のやろうとしているのはつまるところハードボイルドであって、それをフィクションではなくノンフィクションでやろうとしているのではないかと。もちろんそうした文章は好き嫌いが別れるだろうが、個性というのはえてしてそういうものだということにしておく。
『江夏の21球』を読んだあと、続けて次の2冊を読んだ。
『スローカーブを、もう一球』には「江夏の21球」も所収されているので最初に読んだ本と多少ダブりはあるが、あの有名な星稜対箕島を書いた「八月のカクテル光線」はこっちにしか入っていない。この文章はタイトルからしてできすぎているが、あの伝説の一戦は当該日程の最後の試合として組まれており、球児たちが甲子園でのナイトゲームを楽しみにしていた、というエピソードを引き合いに出しているところが非常によい。確かに、練習以外でナイターを組むことは公式戦ではほとんどない。夢に見た甲子園でカクテル光線に包まれながら、そしていつまでも終わらない延長戦を戦うのは疲れはすれども記憶にさぞ焼き付いたものだろうと思う。
『男たちのゲームセット』は巨人がV9を決めた年の阪神との戦いの記録。巨人側、阪神側の両サイドから追っているが、阪神球団側の優勝は別にせんでええんや、2位争いでちょうどええんや、とかいう逸話や阪神時代の江夏の話、そして激情して監督に手を上げる選手たち・・・などなど昭和野球らしい(らしいというのもあれだが)エピソードがたくさんあってなかなか楽しめた。個人的には、名もなき後楽園球場のビール売りバイト青年の発言が、さっきの「八月のカクテル光線」での球児の心情と少しダブっていいものだな、と思った。
スポーツはそのものが生き物であるということと、そのスポーツに身を投じるのは生身の人間だということ。だからこそ生まれるスポーツならではの魅力を、肩の力の抜けた文体で、かつストイックに書いていたのが山際淳司だった、ということはこれらの3冊でよくわかる。あまり触れなかったが、彼が野球だけを愛していたわけではないこともわかる。(香川県の棒高跳び選手を追った「ポール・ヴォルター」も非常に面白く読めた)
プロ野球ももうあと一ヶ月と少し、甲子園もあと一日。クライマックスが近づくいまだからこそ読むにふさわしいと思えた。熱く楽しい読書体験だった。
このタイミングに合わせてかどうかまではわからないが、山際淳司の『江夏の21球』が角川新書から再刊され、売れているらしいということを知った。発売は7月で、買ったのは8月のはじめ。たしか甲子園が始まる直前に梅田駅構内の紀伊国屋で、だったと思うが、高松に戻って宮脇書店に足を運んでも平積みされていることを見ると、どうやら各地でそこそこ売れている(あるいは売り出されている)らしいことがわかる。「江夏の21球」という逸話は確かに野球ファンとしてはよく耳にするがちゃんと読んだことはねえな、という思いがあったので今回買ってみた。
この本自体はなにかしらの底本があったわけではなく、山際の書いたエッセイやノンフィクションからセレクトした感じのアンソロジーになっており、いまになって改めて編み直した一冊というところらしい。山際は1980年に「江夏の21球」をスポーツ雑誌『Number』の創刊号に寄せており、さらにその文章を含む著書『スローカーブを、もう一球』ではノンフィクションの賞もとっている。95年に若くして亡くなっているので、現役時代のことはほとんど知らないが、この本に触れたことをきっかけに山際淳司を追ってみようと思った。
「江夏の21球」は広島時代の江夏が近鉄と対峙した日本シリーズ最終戦、9回裏に投じた21球を追った文章だ。ただ単に21球のプロセスを追ったというより、江夏がそのときになるまで何を考えていたかだとか、21球にまつわる周辺事情や前後関係を詳細に拾い上げている。拾い上げた上でクライマックスに持っていくというライティングを山際は選んでいる。このすぐあとに収録されている「落球伝説」(こっちには阪神時代の江夏が登場する)でもそうだが、タイトルにもなっているシーンは意外とあっさり描写されたりもするのだが、そのかわりにそこにいたるまでに彼らが何を感じ、何を考えていたのかという人間性の部分をより引き立てようとするのだ。
確かにそうした文章がスポーツライティングを(良くも悪くも)変えたとも言われる『Number』の創刊号に載っていた、というのは象徴的なように思う。いまのNumberのライターで山際と同じレベルの文章を書く人は、サッカー以外では中村計あたりだろうか。ここしばらくのNumberはサッカージャーナリズム的な雑誌になっているので、トータルのライティングセンスは落ちているんじゃないかと思われるが、中村計の文章はもっと読まれてもよいだろう。
話がそれた。つまりまあ、山際の試みるような、スポーツにおけるエキサイティングな瞬間をとりあげるためにその周辺事情を人間ドラマで埋めていくというスタイルは今日では珍しくはない。昔のことはよく知らないし、どちらかというと熱くなってというよりは肩の力を抜いて書いているようにも見える山際の文体には、同時代にそれこそ角川で活躍した片岡義男を思い起こさせる。肩の力は抜いているが、山際のやろうとしているのはつまるところハードボイルドであって、それをフィクションではなくノンフィクションでやろうとしているのではないかと。もちろんそうした文章は好き嫌いが別れるだろうが、個性というのはえてしてそういうものだということにしておく。
『江夏の21球』を読んだあと、続けて次の2冊を読んだ。
『スローカーブを、もう一球』には「江夏の21球」も所収されているので最初に読んだ本と多少ダブりはあるが、あの有名な星稜対箕島を書いた「八月のカクテル光線」はこっちにしか入っていない。この文章はタイトルからしてできすぎているが、あの伝説の一戦は当該日程の最後の試合として組まれており、球児たちが甲子園でのナイトゲームを楽しみにしていた、というエピソードを引き合いに出しているところが非常によい。確かに、練習以外でナイターを組むことは公式戦ではほとんどない。夢に見た甲子園でカクテル光線に包まれながら、そしていつまでも終わらない延長戦を戦うのは疲れはすれども記憶にさぞ焼き付いたものだろうと思う。
『男たちのゲームセット』は巨人がV9を決めた年の阪神との戦いの記録。巨人側、阪神側の両サイドから追っているが、阪神球団側の優勝は別にせんでええんや、2位争いでちょうどええんや、とかいう逸話や阪神時代の江夏の話、そして激情して監督に手を上げる選手たち・・・などなど昭和野球らしい(らしいというのもあれだが)エピソードがたくさんあってなかなか楽しめた。個人的には、名もなき後楽園球場のビール売りバイト青年の発言が、さっきの「八月のカクテル光線」での球児の心情と少しダブっていいものだな、と思った。
スポーツはそのものが生き物であるということと、そのスポーツに身を投じるのは生身の人間だということ。だからこそ生まれるスポーツならではの魅力を、肩の力の抜けた文体で、かつストイックに書いていたのが山際淳司だった、ということはこれらの3冊でよくわかる。あまり触れなかったが、彼が野球だけを愛していたわけではないこともわかる。(香川県の棒高跳び選手を追った「ポール・ヴォルター」も非常に面白く読めた)
プロ野球ももうあと一ヶ月と少し、甲子園もあと一日。クライマックスが近づくいまだからこそ読むにふさわしいと思えた。熱く楽しい読書体験だった。




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