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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



 羽田圭介を読むのはそういえば久しぶりだなと気づいたのは読み始めてしばらくしてからで、そしてそもそもこういう文体をする人だったのかとも考えたが、高齢者介護問題という社会派になりそうなテーマを投げてきたわりには純文学の方面に流れていくのは羽田の腕なのだろうと思う。後半の展開はある意味エンタメといっちゃエンタメだけど、タイトルにおける「スクラップ」と「ビルド」の妙味、この分離と重なり合いが見せる物語の行く末は、そうやすやすと作れるものではない。

 三流大を出た後カーディーラーを5年つとめたあと職を辞め、行政書士の資格の勉強(という名目だと思う)をしながら祖父の介護を行う健斗が主人公。羽田圭介の書くキャラクターがいくらかぶっとんでいるのはおなじみであるが、職を辞して資格の勉強というあたりは、作家生活に不安を感じて公務員試験の勉強をしていたという27歳ごろの羽田(であったと、第153回芥川賞の受賞会見で話していた)をちょっとダブらせてしまう。

 まあそれはさておき、健斗は20代の貧困を象徴しているし、認知症が進行する祖父は祖父で人生の終わりが近づいている。二人はそれぞれ生き延び方を模索しないといけないはずだが、先は遠い。祖父に対する健斗の母の視線も冷たく、デイやショートに通所する以外は健斗に頼るという日々を送っていた。健斗は健斗で、祖父の介護を引き受けざるをえない自分自身の境遇を改善するために、特養に勤務している友人と会食をすることになる。

 そこで出てくるのが「足し算の介護」、「引き算の介護」という発想だ。前者はバリアフリーの発想に近い。要は、要介護者によって快適な生活を保障することを目指す支援のあり方だ。けれども後者、「引き算の介護」が比較としてあげられるのは、「足し算の介護」は「要介護者のためになるのか」どうかはあやしいからである。たとえば手すりをつけることで歩きやすくはなるが、常に手すりを持ちながら歩くことになってしまうと手すりのないところでは生きていけない。何かを足すことで、生活の質はあがる。けれども、生活の質を上げることが返って身体の質を損ねるのならば、実はこの二つの質はトレードオフなのではないかという視点が産まれる。

 ここであえて健斗が「足し算の介護」を試みるのが面白い。「引き算の介護」をしたほうが身体の質は低下しない。身体の質を保つことは生活の質の保証にもつながりうる。けれども「足し算の介護」を試みるのは、祖父の早く死にたいとつぶやく言葉を実現するためだ。健斗はこのように考える。そして彼は自分自身の身体の質を向上しようと試みる。身体の質を低下させて死へ誘う死に神のような存在たる健斗は、マッチョ化する現代の若者という不思議な構図になるのだ。

 健斗には亜美という恋人がいて、身体の質を向上させていく健斗のセックスに亜美は満足感を覚える。しかし自分では努力しようとしない亜美に対しての不満を募らせていく。がんばらない人は嫌いです、というのはなんという意識の高さかと思ってしまう(そしてそれはストイックさとも無縁である)が、だらだらと家にこもって行政書士の勉強をしていたころの健斗は存在しない。健斗にとってもおそらく予想外の流れでありながら、身体の質の向上が生活の質の確保につながりうることを示している。

 対して祖父のほうはどうか。祖父は健斗の思わぬ方向で生き延びようとしていく。多くを書くとネタバレになるので書かないが、本作のテーマは介護問題であるけれど、それはあくまで世代間対立のツールとして使っているだけであって、羽田自身が介護にどうこう言いたいわけではおそらくない。身体の質を向上させることで周りを違った目線で良くも悪くも見てしまう健斗自身の身勝手と、健斗の身勝手が招いた祖父の意外な余生は、それが重なり合うことでようやく意味を持つ。

 健斗の思い通りにすべてが運んでいたのなら、健斗と祖父の間の断絶は続いたままだ。身体の接触はあれど、すでに家庭内でのけ者にされている祖父との心理的距離は縮まりようがない。だからその先へ進むためにはいかに意外性を容易するかが重要なのだと祖父はその身を以て示す。人間の可能性と言えば大げさだが、祖父はもちろんはじめから祖父であったわけでもなく、長い人生、歴史を背負った一人の生き証人であるということを、案外(特に世代が遠くなればなるほど)見逃しがちである。祖父であること、要介護者であるということ、そうした属性をとっぱらった上で一人の生身の人間が生きていて、さらに生き延びようとしていること。それ自体にどのように向き合えばいいのか。それがおそらく本作の根本的なテーマであろうと、当初辿り着くとは思えなかった結末を読み終えて、強く思う。

 同時受賞の又吉直樹の『火花』にしても、主人公と先輩という異なる世代のコミュニケーションが主な小説だった。後輩は先輩をいずれ超えていくようにできているかもしれない。でも年齢は超えられないし、家族の関係は容易には変わらない。超えられないからあきらめるのか、つきはなすのか。いや、それ以外もいくらでもあるんじゃないか。そんな希望的観測も少し感じるほど、高齢者介護の問題を取り上げた小説にしてはすがすがしい小説だった。


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