長い小説はこれまでも何度か読んだことがあるし、京極夏彦をのぞいてはそれらは分冊化されているので、長さは本の厚さとは直接関係しない。だがボラーニョの『2666』は作者の死後に出版されたという経緯も手伝ってか、分冊されるはずだったものが一冊になってしまった、という経緯を持つらしい。詳しくは本の中に書いてあるので省くが、そうして生まれた一冊は(邦訳という形だとしても)かなりのボリュームだ。量というものを、重さで感じることはそうあることではない。同じくらいの厚さの本ならジョン・ロールズの『正義論』が本棚には並んでいるが、小説と学術書ではまた訳が違う。その壮大なボリュームにわくわくする気持ちと、あまりもの重たさに尻込みする気持ちを両方抱えながら読むことになる。良くも悪くも、それは電子書籍では味わえない体験になりえるのだろう。
そんなわけで、この膨大な小説は五部に分かれている。五部のいずれにも共通するのはメキシコのサンタテレサという国境沿いの街と、アルチンボルディというドイツ人の作家の存在だ。いずれも架空のものだが、実在する地名や実在する人物の名前が多く連なるこの小説においては、架空であることにさほど意味を持たなくなる。つまり、架空のものとして書かれている場所や人について起きる事態が持つリアリティというものを、ボラーニョは信頼している。小説、フィクションという形だからこそできる試みだし、その試みは非常にうまくいっていると言っていい。
なぜうまくいっていると言えるのか。その一つは第四部「犯罪の部」にあって、五部の中でもっとも長いこの「犯罪の部」では文字通り、犯罪(とりわけ殺人事件)に関しての膨大な記述が行われている。あまりにも膨大な死者(全員女性である)の数々について、名前と年齢、死因、発見場所などをノートにメモしていたのだがキリがなくなって途中で断念してしまった。しかし、若干ネタバレではあるがこの膨大な事件群は完全には解決されることはない。いくつかの事件に関与した犯人や最も重要な容疑者となる男の逮捕は起こるのだが、事件事態はただ事件が膨大に起きたのだ、ということを伝えるために記述されている。
それでも重要なのは、メキシコにあって国境近くのサンタテレサ、という地理的な特徴と、政治的、社会的な背景を理解するためにこの章はまず書かれなければならなかったのだと実感するからだ。大局的に見れば蛇足とも言えるかもしれない。「犯罪の部」を読み通すのはなかなかにつらい。多くの死亡した女性は膣と尻穴などにレイプされた形跡があり、むごいうという言葉では足りないほど悲惨な事態を迎えている。それでも読者は(読み飛ばさないかぎり)読まなければならない。この一点だけでも、「犯罪の部」が書かれた意味を強調することができる。「犯罪の部」の前に書かれる「フェイトの部」ではすでにサンタテレサで起きている犯罪の”匂い”が盛んに描写され、読者
もう一つ、アルチンボルディというドイツ人作家についても触れる必要がある。この作家はいくつかの作品を残し、ヨーロッパを中心に世界的に有名になった(ノーベル賞候補に名前が挙がるほどに)のちに失踪、という状況にあるとされる。最初の「批評家たちの部」では数人の文学者がアルチンボルディに関わる議論を交わし、続く「アマルタフィーノ」の部でもその流れをいくらか引き継ぎながらサンタテレサ在住の文学者、アマルタフィーノの人生がつづられる。最後の部「アルチンボルディの部」についてはネタバレになってしまうので多くを書かないが、戦争を経てのエピソードが非常に秀逸に(詳細かつ情緒的に)展開されることでアルチンボルディという人物の魅力を間接的に表現することにつながっている点が本当に素晴らしかった。
素晴らしいという言葉だけで何かを言い終えてしまうのはどうかと思うのでもう少し続けると、アルチンボルディという作家のルーツを「アルチンボルディの部」でたどるということは、「批評家たちの部」と「アマルタフィーノの部」で展開されたことの答え合わせも部分的に含んでいる。それでも、はっきりと分かることなど多くはないし、多くは研究者や批評家たちの推論によって語られるしかない(それもあとの時代になって)という程度にぼかすことで逆にアルチンボルディという人物の謎を深めている。彼自身も多くは語らないが、「批評家たちの部」、「アマルタフィーノの部」、「フェイトの部」という物を書くことに関する人たちが多くのことをすでに語っていて、書くことだとか表現することだとかということを、アルチンボルディという存在を通して(「フェイトの部」ではアルチンボルディとは直接関係ないが、この部の語り手はアメリカ人ジャーナリストである)ボラーニョは書きたかったのではないか。しかも結果的に遺作となってしまったことを考えると、彼の思いをアルチンボルディに託して書き残しておきたかったのではないかとも感じる。
買って読むにしてもそれなりのお値段だし、図書館で借りて読むにしても返却期限を心配してしまう長さであるが、まずは「批評家たちの部」を読み通すことでアルチンボルディという人物の魅力と、この小説が表現しようとする世界観の魅力―謎に満ちてカオスであるが、それがわたしたちの生きる世界(の一部)でもあるということ―を十分感じることはできるのではないだろうか。「批評家たちの部」が単なる批評合戦にならず、かなりウェットで複雑な人間関係が展開されていくことも読み物として非常に魅力的だ。そこがはじめの一歩だとして、たどりついた長い道のりの先にはヒューマニティあふれる結末が待っている。その点、ある意味特別な一冊ではない。それでも、他にはない魅力を持った希有な(もちろんボリュームの面でも)一冊であることだろう。
参考:エクス・リブリス通信 extra Oct. 2012(白水社)
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