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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

そして2月が終わる(2011年2月28日)
そして今年も2月が終わる(2012年2月28日)

 2月は俺にとって特別な月だ、ということは以前書いたような気がする。今年は書くつもりはなかったんだが、そういえば今日で2月が最後かと気づくとなにかしらのこみあげるものはあるし、去年、一昨年と続いてきたことでもあるので、内容どうこうよりはいましか残せないものを今年も残しておこう、という気持ち。
 2年分を読み返すと文章の書き方がだいぶ違っていて面白いし、そのときその周辺で何が起こっていたか、あるいは何に、誰に関心を持っていたかが分かるようになっている。ストック型のブログはこういうところにすぐれているなと思い、いまでも日記的な使い方をしているんだろうな、と思う。

 大学生だった時期が終わると、ある種の輝いていた時代に幕を下ろした印象がある。もう同学年の多くの人たちは仕事を持って働いていることもあってか、モラトリアムが伸びたことに後ろめたさを感じないと言えば嘘になる。それでも、そうやって後ろめたさを抱えつつも歳をとって生きていく、ということを改めてかみしめることで、自分なりの姿で前を向いていけるかもしれないな、とも感じている。
 去年書いた、「歳をとることを肯定的にとらえる」云々のことが、ちょっとだけ実感を伴ってきたかもしれない。

 最近「雲のむこう、約束の場所」という映画を見た。新海誠の劇場2作目で、しばらく前に一回見たはずなのだが見返してみると内容をあまり覚えていなくて、純粋に楽しみながら見た。

劇場アニメーション「雲のむこう、約束の場所」 [Blu-ray]
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 バイオリンを弾く男女ふたりのジャケットがきれいなように、映画もとてもきれいな映画だった。
 ややネタバレになるが、これはふたりが出会うための物語なのだと思った。ひき離されてしまったふたりが再び出会うための、青臭い物語だ。
 「ほしのこえ」はひき離されていく男女のコミュニケーションを描き、「秒速5センチメートル」では時間軸を少年少女の成長過程と合わせることで、次第に離れていくふたりを描いた。他方、本作は離れてしまったふたりがもう一度出会う物語だ。「秒速5センチメートル」では、もう出会うことはないと分かるまでの過程が描かれることとは対照的に見える。しかし、再会したふたりにも、「秒速」のような形での別れが今後成長するにつれて起きないとは言えない。
 こういう見方をすると、「雲の向こう」から「秒速」は地続きの印象を受ける。どちらの主人公も、成長してあとは東京で暮らしているというのも印象的だ。未成熟な出会いの物語は地方の小さな町で描かれるが、成熟した一個人は東京のような大都会で、誰かとつながっていなくても生きていかなければならない。

 このエントリーの最初に輝いていた時代、という言葉を用いた。未成熟がゆるされる学生時代のあと、つまりはそれを踏み越えたときには成熟が前提の社会だ。未成熟なままではいられない。だから「雲のむこう」の主人公も、「秒速」の主人公も苦しむ。
 とるべき進路はふたつあって、もがきながら成熟していくか、未成熟なまま苦しみ続けるか、だろう。いずれにせよ選択をしなければならない。
 こうして考えると学生時代がモラトリアムと呼ばれるのがよく分かる。永遠に続かないがゆえに、その時代は輝いて映る。

 ひとつ歳をとり、もうすぐ卒業から1年という今あらためて、過去を振り返りながら未来について考えている。
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