NHKが2011年に放送した単発ドラマを最近2本見た。ひとつは「風をあつめて」という障害児と親の物語、もうひとつは「生むと生まれるそれからのこと」という若い男女が結婚、出産に至るまでのプロセスのお話。たまたまどっちとも家族の物語だったのはほんとうにたまたまだと思うけど、面白かったのでややメモ的に。
風をあつめて http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/8000/68593.html
熊本で実際にあったお話で、筋ジスの娘をふたり授かった親の葛藤と格闘、再生の物語といったところ。
1時間しかなかったのでどうしても尺の短さが結果的に目立った。その上でいくつか指摘しておくと、まずはよく突き当たる問題ではあるのだろうけど普通さとは何ぞやという問題。
普通さを望み、願うこと自体は排除される必要はない。とはいえ、目の前にいる娘と向き合ったときに何を思うか。このへんは直接の産みの主体である母親と、多少距離のある父親とは齟齬があって、やや対立もする。このへんの過程は見ていてリアルだなあと思っていた。
普通さを願うのは障害児だからだろうけれど、こうあってほしいと願ったり望んだりというのは父親にしろ母親にしろ、いまとは違う状態へのないものねだりはどの家族でもおそらく起こりうる。
そのときに、まずは目の前の現実を受け入れて、愛せるように前向きにとらえるという方向性にどうやって向けていくのか。この過程はひとつの理想ではあるが簡単なものではない。一方では子育てを含む家事、一方では仕事という役割がいわゆる日本型の多くの家庭では分担される中で、2人が一致点を見つけながら協力するというのはやはりひとつの理想でしかないのかもしれない。
ただ、子どもを媒介することで理想にちょっとでも近づきたいという動機づけにはなるのかもしれないな、と最後のほうに父親が医療機器メーカーの社長と話したセリフだとか、阿蘇山の噴火口まで子どもを背負って登る様子を見ていて感じた。
父親役の安田顕はチームバチスタの印象が個人的に強かったが、バチスタの役ほど強くはない、それこそふつうのひとりの父親としての役も悪くなかった。
生むと生まれるそれからのこと http://www.nhk.or.jp/drama/umuto/
端的に脚本が面白い。というのと、柄本佑と関めぐみという個人的に好きなふたりの若手俳優が主演をした、っていうのもあって、見るのはこれが2回目だったんだが2度見でも全然面白かった。1回目はやや流して見た形になっていたので、前回よりは筋をつかみながら見ることはできたし。
「風をあつめて」はもっぱら子どもが産まれてから育て上げる格闘というプロセスが描かれていたが、このドラマはまずは恋人、そして夫婦になるという過程がコメディチックに主演の二人が演じていくというプロセスをとっている。
線を引くっていう言葉がナレーション(このドラマはやたら解説的なナレーションがしょっちゅう挿入されるのだが面白いのでもっとやれという気分にさせられる)ではいるのだが、柄本佑も関めぐみも、それぞれ変人扱いされて育ったふたり、という設定。そのふたりが仕事をきっかけに出会う。出会ってしまう。
出会って交際するようになり、同棲も・・・という客観的には順調なプロセスのひとつひとつがお互いの価値観のぶつかり合いでもある。そういったお互いの内面同士の格闘が、個性的な主役ふたりの間で繰り広げられることによって非常に華があるし、端的に面白い。
ナレーション含め全体をコミカルにしている理由はいくつかあるのだろうけど、話の後半は子育てに向けた準備(病院や子育て教室に通ったりとか)にあてられていることがひとつかもしれない。子どもという今までとは違う第三者を新しく登場させる(正確には登場を予感させる)ことによって、ふたりの関係を前進させる意味がある。線引きの限界にもつきあたる。
それと、子育てっていう共同作業、あるいは分担といったきれいに線引きしきれない行為をコミカルに演じさせることによって、意外とおもしろくね?とさせる効果もあるような気がした。義務感でも責任でもなく、その行為自体の魅力を考えて作られているような感じ。親仲間とのコミュニケーションという未知との遭遇は、このドラマの中ではコミカルに表現してこそだったと思う。
とはいえ。とはいえ、やたら喋る柄本佑と関めぐみの演技あってこそ。つまり素の彼らが表れてこそ子育てに向かう意味もある。すり減りすぎず、自分を殺しすぎず。完全な自然体とはいかないまでもらしさを残しながら。最後までらしさの残った演技をするふたりはなんだかんだ楽しそうにしか見えない。なんとなく、リア充乙、だなと。
風をあつめて http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/8000/68593.html
熊本で実際にあったお話で、筋ジスの娘をふたり授かった親の葛藤と格闘、再生の物語といったところ。
1時間しかなかったのでどうしても尺の短さが結果的に目立った。その上でいくつか指摘しておくと、まずはよく突き当たる問題ではあるのだろうけど普通さとは何ぞやという問題。
普通さを望み、願うこと自体は排除される必要はない。とはいえ、目の前にいる娘と向き合ったときに何を思うか。このへんは直接の産みの主体である母親と、多少距離のある父親とは齟齬があって、やや対立もする。このへんの過程は見ていてリアルだなあと思っていた。
普通さを願うのは障害児だからだろうけれど、こうあってほしいと願ったり望んだりというのは父親にしろ母親にしろ、いまとは違う状態へのないものねだりはどの家族でもおそらく起こりうる。
そのときに、まずは目の前の現実を受け入れて、愛せるように前向きにとらえるという方向性にどうやって向けていくのか。この過程はひとつの理想ではあるが簡単なものではない。一方では子育てを含む家事、一方では仕事という役割がいわゆる日本型の多くの家庭では分担される中で、2人が一致点を見つけながら協力するというのはやはりひとつの理想でしかないのかもしれない。
ただ、子どもを媒介することで理想にちょっとでも近づきたいという動機づけにはなるのかもしれないな、と最後のほうに父親が医療機器メーカーの社長と話したセリフだとか、阿蘇山の噴火口まで子どもを背負って登る様子を見ていて感じた。
父親役の安田顕はチームバチスタの印象が個人的に強かったが、バチスタの役ほど強くはない、それこそふつうのひとりの父親としての役も悪くなかった。
生むと生まれるそれからのこと http://www.nhk.or.jp/drama/umuto/
端的に脚本が面白い。というのと、柄本佑と関めぐみという個人的に好きなふたりの若手俳優が主演をした、っていうのもあって、見るのはこれが2回目だったんだが2度見でも全然面白かった。1回目はやや流して見た形になっていたので、前回よりは筋をつかみながら見ることはできたし。
「風をあつめて」はもっぱら子どもが産まれてから育て上げる格闘というプロセスが描かれていたが、このドラマはまずは恋人、そして夫婦になるという過程がコメディチックに主演の二人が演じていくというプロセスをとっている。
線を引くっていう言葉がナレーション(このドラマはやたら解説的なナレーションがしょっちゅう挿入されるのだが面白いのでもっとやれという気分にさせられる)ではいるのだが、柄本佑も関めぐみも、それぞれ変人扱いされて育ったふたり、という設定。そのふたりが仕事をきっかけに出会う。出会ってしまう。
出会って交際するようになり、同棲も・・・という客観的には順調なプロセスのひとつひとつがお互いの価値観のぶつかり合いでもある。そういったお互いの内面同士の格闘が、個性的な主役ふたりの間で繰り広げられることによって非常に華があるし、端的に面白い。
ナレーション含め全体をコミカルにしている理由はいくつかあるのだろうけど、話の後半は子育てに向けた準備(病院や子育て教室に通ったりとか)にあてられていることがひとつかもしれない。子どもという今までとは違う第三者を新しく登場させる(正確には登場を予感させる)ことによって、ふたりの関係を前進させる意味がある。線引きの限界にもつきあたる。
それと、子育てっていう共同作業、あるいは分担といったきれいに線引きしきれない行為をコミカルに演じさせることによって、意外とおもしろくね?とさせる効果もあるような気がした。義務感でも責任でもなく、その行為自体の魅力を考えて作られているような感じ。親仲間とのコミュニケーションという未知との遭遇は、このドラマの中ではコミカルに表現してこそだったと思う。
とはいえ。とはいえ、やたら喋る柄本佑と関めぐみの演技あってこそ。つまり素の彼らが表れてこそ子育てに向かう意味もある。すり減りすぎず、自分を殺しすぎず。完全な自然体とはいかないまでもらしさを残しながら。最後までらしさの残った演技をするふたりはなんだかんだ楽しそうにしか見えない。なんとなく、リア充乙、だなと。
コメント