早すぎて信じらんない!くらいには今年も2月はあっというまだったような気がする。半分くらい卒論を書くために費やしてたので、そういう締めきりがあると時間というのは一気に過ぎていくんだなあと改めて感じました、まる。というところだろうか。
後半は引っ越しの準備をしてたので(というかまだ荷造りが終わってなくて続けているので。手続き系はほぼおわたはず)これはこれで時間の経過が早かった。自分である程度手配してやる引っ越しは初めてなので手続きとかそもそもダンボールってどこでげっとできるっけとかよく分からんことだらけだったがなんとか間に合いそうでほっとしている。
ネットが開通したらポイントをうん万いただけるらしいのでそれでネットブックかラブプラスでも買おうかなと考えていますね。春だし。
さて、まずは一年前の月末に書いた「そして2月が終わる」というエントリーをちょっと振り返ってみる。
これはかなり大きかったというか、ここで「考える」ことをしていたから今につながっていると思っている。もちろん、そうしなかったらそうしなかったときの人生はあったと思う。けれども今ここでたらればをするつもりはなくて、重要なのは過去を振り返って今後にどう繋げていくかだと思っている。
そんな感じのことは
一年前も書いてたりするんだけどね。こういうことは定期的に振り返って確認できればいいなあと思うし、そのためにブログを書き続けているという側面もあったりする。
実際「納得のいく形」ってのはあやふやなものだし簡単じゃないんだが、自分なりにどこで納得できるかは変化していくからこそ振り返らないと忘れてしまうこともある。一つ一つ経験していくなかで未来に繋がれば一つの形にはなる、はず。というところで。
で、つぎに今月の頭に書いた「そして2月が始まる」を振り返ってみよう。
「生命とは、明日を生きる権利だ」という言葉を引いてこれから先どうやって生きていくか、みたいなことを書いている。締めが俺らしいなあと思っていて
要は膨大な過去とも向き合いながら未来へ進まなければならない(倫理的に)という環境の中で板挟みのようになっている。そういうことを一番意識させられるのが大学を卒業する前の春休みなんじゃないか、というお話。
俺の場合は春からいわゆる「社会人」になるわけではないのだが、それでも環境は変化せざるをえないなかで、その先のことも見据えながらどうやって生きていくかを考える必要がある。生存戦略的な目に見えて分かりやすいものというよりは、自分の中のメンタルの問題、要はどうやったら未来を前向きにとらえられるようになるか、というところに引っかかりがあるような気がしていた。だからわざわざ「権利」という言葉を引いているようにも思う。
さて、今年ももうすぐ2月が終わる。今年もいろいろと考えたし、人と会ったし、いろんなものを見てきた。
そして22歳になりました。俺にとって2月とは、否が応でも自分と向き合わざるを得ない月だとずっと思っている。肯定的にも、否定的にも。過去も未来も現在も。ほんとうにいろんなことを考えてしまうのが毎年のこの時期の過ごし方になっている。
単に歳をとるだけとも言えるが、今までの人生のなかで3回ほど(0歳のときをのぞく)入院中のベッドで誕生日を迎えたこともあるくらいなので、まず第一に健康であることが一番の救いだったりもする。そこが最低ラインというか、健康に歳をとれただけまだまだ生きていかねばならない、とも思ったりする。それこそ、生命とは明日を迎える「権利」なのだとするならば、行使せねばあまりにももったいないからね。
最近考えているのは前へ進むためには心も体も軽くした方がいいんじゃね?ということ。考えれば考えるほど心が重くなったりもするのでそういうときは考えないほうが健康にもいい。
そういうふうにバランスをとれるようにしないと身を滅ぼしかねんし、タフな日々を生きていくためにコントロールする能力はきっと必要。たとえば必要以上にネガティブにならなくてもいいとかね。これは性格なのでまあ難しかったりもするんだが。
体も軽く、というのは文字通り健康を持続できるかということと、体力を維持できるかということ。ちょっとずつあったかくなってきたらもう少しランニングの回数を増やすとか筋トレをするとか、そういう単純なことを積み重ねられたらいいな、と思う。
もちろん簡単に心身二元論には還元できなくて相互に関係しあっているので、両方ともをいい状態にして、それを持続させることというのを基盤にしたいな、と。何かやりたくても、あるいはやらねばならなくても、心や体がまず整わないとしゃらくさくてアレ、なので。卒論書いているときが実はこんな感じだったので非常に疲れた。
あと、軽くするというのも重要で、これは最近引っ越しの準備をしているからかもしれないがある程度モノは自分の届く範囲でいいと思うし、心も別にすり減らすほど何かに注視しなくてもいい。
どこまでコントロールできるかとかバランスをとれるかは正直よくわからんし、あまり得意ではないのも確かなんだが、意識できる範囲で意識できればいいかなととりあえずは考えている。そのほうが生きやすいのなら、そういうふうに生きてみるほうを俺は選ぶ。ある意味それだけだとも思っている。
そんな感じで今年もひとつ歳をとったわけですが、3月になっても、今後とも、ネットとリアルの両面でよろしくお願いします。
後半は引っ越しの準備をしてたので(というかまだ荷造りが終わってなくて続けているので。手続き系はほぼおわたはず)これはこれで時間の経過が早かった。自分である程度手配してやる引っ越しは初めてなので手続きとかそもそもダンボールってどこでげっとできるっけとかよく分からんことだらけだったがなんとか間に合いそうでほっとしている。
ネットが開通したらポイントをうん万いただけるらしいのでそれでネットブックかラブプラスでも買おうかなと考えていますね。春だし。
さて、まずは一年前の月末に書いた「そして2月が終わる」というエントリーをちょっと振り返ってみる。
(就活などで)こうやって動き回る一方で得た様々な気づき、そして1ケタしかないとは言え春休みということもあってゼミ論を提出してからは久しぶりに「考える」時間ができた。
これはかなり大きかったというか、ここで「考える」ことをしていたから今につながっていると思っている。もちろん、そうしなかったらそうしなかったときの人生はあったと思う。けれども今ここでたらればをするつもりはなくて、重要なのは過去を振り返って今後にどう繋げていくかだと思っている。
そんな感じのことは
2月は自分自身を回顧することが非常に多かった、ということ。ネットの利用から、就活のスタンスまで、自分が何を考えてきたのか、何をしてきたのか、そしてこれからどうするのか。
不足しているのは後者、つまり未来に向けてこれからどうするのか、である。振り返るだけ振り返ったはいいが、逆に言えば今後についての見通しは甘々だったことも痛感した。
今はどうにかこうにか、3月以降に繋げますように。速く終わらせることよりも、納得のいく形で終わらせて、来年以降に繋げていきたいと思っている。
一年前も書いてたりするんだけどね。こういうことは定期的に振り返って確認できればいいなあと思うし、そのためにブログを書き続けているという側面もあったりする。
実際「納得のいく形」ってのはあやふやなものだし簡単じゃないんだが、自分なりにどこで納得できるかは変化していくからこそ振り返らないと忘れてしまうこともある。一つ一つ経験していくなかで未来に繋がれば一つの形にはなる、はず。というところで。
で、つぎに今月の頭に書いた「そして2月が始まる」を振り返ってみよう。
「生命とは、明日を生きる権利だ」という言葉を引いてこれから先どうやって生きていくか、みたいなことを書いている。締めが俺らしいなあと思っていて
歳をとることを肯定的にとらえるとすれば、それはすこしまえに記事にしているようにまだ見ぬものへの純粋な期待や好奇心があるというところだろうか。そういう気持ちをしぶとさに変えて、生き残っていけたらひとまずはマシな人生になるかな、と思いつつ。
要は膨大な過去とも向き合いながら未来へ進まなければならない(倫理的に)という環境の中で板挟みのようになっている。そういうことを一番意識させられるのが大学を卒業する前の春休みなんじゃないか、というお話。
俺の場合は春からいわゆる「社会人」になるわけではないのだが、それでも環境は変化せざるをえないなかで、その先のことも見据えながらどうやって生きていくかを考える必要がある。生存戦略的な目に見えて分かりやすいものというよりは、自分の中のメンタルの問題、要はどうやったら未来を前向きにとらえられるようになるか、というところに引っかかりがあるような気がしていた。だからわざわざ「権利」という言葉を引いているようにも思う。
さて、今年ももうすぐ2月が終わる。今年もいろいろと考えたし、人と会ったし、いろんなものを見てきた。
そして22歳になりました。俺にとって2月とは、否が応でも自分と向き合わざるを得ない月だとずっと思っている。肯定的にも、否定的にも。過去も未来も現在も。ほんとうにいろんなことを考えてしまうのが毎年のこの時期の過ごし方になっている。
単に歳をとるだけとも言えるが、今までの人生のなかで3回ほど(0歳のときをのぞく)入院中のベッドで誕生日を迎えたこともあるくらいなので、まず第一に健康であることが一番の救いだったりもする。そこが最低ラインというか、健康に歳をとれただけまだまだ生きていかねばならない、とも思ったりする。それこそ、生命とは明日を迎える「権利」なのだとするならば、行使せねばあまりにももったいないからね。
最近考えているのは前へ進むためには心も体も軽くした方がいいんじゃね?ということ。考えれば考えるほど心が重くなったりもするのでそういうときは考えないほうが健康にもいい。
そういうふうにバランスをとれるようにしないと身を滅ぼしかねんし、タフな日々を生きていくためにコントロールする能力はきっと必要。たとえば必要以上にネガティブにならなくてもいいとかね。これは性格なのでまあ難しかったりもするんだが。
体も軽く、というのは文字通り健康を持続できるかということと、体力を維持できるかということ。ちょっとずつあったかくなってきたらもう少しランニングの回数を増やすとか筋トレをするとか、そういう単純なことを積み重ねられたらいいな、と思う。
もちろん簡単に心身二元論には還元できなくて相互に関係しあっているので、両方ともをいい状態にして、それを持続させることというのを基盤にしたいな、と。何かやりたくても、あるいはやらねばならなくても、心や体がまず整わないとしゃらくさくてアレ、なので。卒論書いているときが実はこんな感じだったので非常に疲れた。
あと、軽くするというのも重要で、これは最近引っ越しの準備をしているからかもしれないがある程度モノは自分の届く範囲でいいと思うし、心も別にすり減らすほど何かに注視しなくてもいい。
どこまでコントロールできるかとかバランスをとれるかは正直よくわからんし、あまり得意ではないのも確かなんだが、意識できる範囲で意識できればいいかなととりあえずは考えている。そのほうが生きやすいのなら、そういうふうに生きてみるほうを俺は選ぶ。ある意味それだけだとも思っている。
そんな感じで今年もひとつ歳をとったわけですが、3月になっても、今後とも、ネットとリアルの両面でよろしくお願いします。
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