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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 さわらぬ神に祟りなしだとか、なるようにしかならないだとか、Untouched(触れない状態)を指すいろいろな言葉があるが、簡単に整理しつつ、それでほんとうにいいの(really better?)ということを考えてみたい。結論はあってないようなものかもしれないけどね。

 最近だとたとえばTPPに関する言及がそれだったりする。
 まず、TPPよく分からんという声が多くて実際に情報の非対称性や先行きの不確定性(*1)は高いように思われるので、単純に分からんというだけで説得力を持ってしまうという現象が起きている。
 別にこれはおかしいことではなく、多くの政策や制度に関して一般の人々は十分な知識や情報を持っているわけではない。それでも生活には遅かれ早かれ影響してくるから、気にはなる。専門家を頼るしかすべがないのは、ある程度必然だろう。
 ただ、その上で専門家の議論を理解できるかどうかでまた別だ。理解、もしくは自分の言葉で咀嚼できるならそれでいいかもしれないが簡単ではない。TPPの場合、貿易に関してはマクロ経済や国際経済の知識がいるだろうし、医療制度改革の場合は社会保障についての認識が必要になる。著作権に関しては法律の知識もだが、文化上京についても詳しくなくてはならないだろう・・・などなど、全部で20を超えると言われる項目をすべて把握するのは当の交渉人にもとうてい不可能なのであって、それでも決断しなければならない理由などないのかもしれない。

 だからなのかもしれないが、賛否はくっきりわかれる。賛成派も反対派も一点突破が非常に多くて、各自が各自の持論を展開する形だ。反対すれば「売国」、賛成すれば「世界の流れに出遅れる」など、レッテル貼りもネットを中心に絶好調である。
 正直分からんという前提の上、言及するだけでレッテル貼りの恐怖にもさらされるのだから、個人レベルではUntouche is betterになるのもうなずける。

 次に、就活反対デモなるものについて整理してみよう。
 早稲田大学社会科学部5年の小沼克之(*1)という人が主宰しているらしいのだが、勤労感謝の日にあったデモについてはデモの前からネットでは賛否両論があふれている。俺の観測範囲では否定する人が多い。
 否定する理由は色々あるようだが、彼らの行為よりは発言を叩く声が多い。思えば、去年神奈川大学の人が主宰していたデモに関しては発言の稚拙さで叩かれるということはそれほど少なくて、就活に反対しても意味がないだとか、ちゃんと就活しろだとか、原理的な叩きが中心だった。
 今年のデモに関しては個人的にも好き勝手やっているな、という印象は受ける。ついったーにも書いたが、彼らは自分たちのためにやっているという側面が強くて、何かを告発しようという印象はない。言っていることも時期の話が中心なので紋切り型というか、あらためて言うまでもないことである。そこにある程度の問題性があることは自明とまではいかないものもある程度共有はされているのだから、一歩先を進めば違った形になっていただろうし、反応も異なったんじゃないかと思う。
 
 声を上げることそのものを否定するつもりはもちろんないが、注目を集める行為をやっている以上、大学のサークルのノリとは違う何かを提供できないと、特に日本の場合はしらけられるだけだろう。
 言いたいことを言う、感じている素朴なことを表明する、というのは問題が顕在化していないときには有効だが、ある程度共有ないし周知されているとデモの様子自体は注目を浴びるかもしれないが、その中身にまでは肯定的に目を向けられない。
 就活の場合景気に左右されがちなので、場合によってはクソゲーがぬるゲーになるかもしれない。だから景気が良くなったときにあえてこういうデモを行うならある程度肯定的に見てとれる。
 
 ただ、日本ではデモ自体が活発とは言えないから、見ている側にこうした認識にいたらせる効果は就活反対デモにはあったのかもしれない。
 今回の場合は特に就活ぶっこわせと言ってしまっている点にも問題があるだろう。じゃあどうするのかももちろんだが、どのようなシステムでもこぼれ落ちる人はいるわけで、就活システムそのものの問題を告発するにしても、こぼれ落ちる人をどうするのかという告発はセットでないといけない。だがぶっこわせ、では後者の視点があまりにも欠けている。エジプトでは再び動乱が起きているようで、ぶっこわして幸福になるとは限らないのである。(*3)
 まあつまり、彼らがどこへ向かおうとしているのか分からない以上、これも不確定性といった点や若者批判と相まってUntouchedになるのが無難であるだろう。

 とはいえ、長期的に考えたときに無難な選択がbetterになるわけではない。以前書いた記事でも扱ったように、特に就活の場合問題がそのまま温存されることになると不満が蓄積されていくだけだろう。勝ち組と負け組の差が別の社会問題として顕在化するかもしれない。ロスジェネ世代が皮肉ながらも良い例だ。
 TPPに関しては風呂敷自体が大きすぎるので議論や言及すること自体が難しいが、農業に限って言っても今後どういう展開を見せるのかは分からない。日本の場合戦後の制度や政策の慣習が生き残っていたりするが、農業はそのいい例だろう。

 つまり、個人としてUntouchedが合理的であっても全体の最適性や未来の最適性は保証されない。このことにどれだけの人が気づいているかは分からない。
 それでも未来にゆっくりと進んでいく。ある意味では、それだけのことなのかもしれないが。


*1 たとえばドーハラウンドは始まって8年に経つが、途中で決裂して進んでいないようだ。TPPは日本のあとにカナダやメキシコが後出しで参加表明してきたり、中国とアメリカが日本をまたいで政治的な駆け引きを行っているなど、外的条件も非常に不安定な感覚を受ける。TPPそれ自体の議論もいいが、果たして決着するのかどうかの議論ももっとされていいと思うのだが。

*2 近い名前の知り合いはいるがたぶんこの小沼某とは知り合いでもなんでもないです。

*3 エジプトの革命と就活反対デモを比べるのは規模や政治的価値という少し筋が違うかもしれないが、目的が達成されればすべてハッピーになるわけではない。違う点を指摘すると、エジプトの場合国際社会の支援もあるから改善はするだろうが、就活反対デモの場合もしかしたら改善すらしないかもしれない。


内容とはあまり関係ないが、キョトンPのこの曲は名曲だと思う。
2ndアルバムも素晴らしいのでボーマス以降毎日聴いてます。
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