Driving in the silence(初回限定盤)(DVD付)
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昔の坂本真綾、特に菅野よう子の作曲に一定程度支えられることで坂本真綾というシンガーの魅力を発揮していた頃のことをそんなに詳しく知っているわけではない。初めてアニメ以外で目にしたのが「夕凪LOOP」だったと思うので、俺の場合リアルタイムで知っているのはポスト菅野時代の坂本真綾(*1)である。
あとになって(特に大学入学後に)過去のアルバムを聴くなどして、かつてこういう彼女は歌を歌っていたんだなあという情報を仕入れたりはしたものも、まだまだ俺にとっての坂本真綾は新鮮に聴くことの出来るシンガーのひとりである。
今月発売になった「Driving in the silence」(以下Ditsと略す。ディッツ)の評判などをネットで巡回して思ったのは、ポスト菅野時代の坂本真綾が十分やっていけることを示しているようにも見えた。もちろん長いファンの人は思うところがいろいろあるようだが、評判はかなりいい。「夕凪LOOP」のころとの違いはそれだ。もちろん「夕凪」はポスト菅野の第1作だったかが批判にさらされた、とは言えるものも。
面白いのは、ベストアルバムをのぞくと菅野時代の夕凪より前が5枚(うちコンセプトアルバム1枚)で、夕凪以降はDitsでちょうど5枚(うちコンセプトアルバム2枚)で、もしかしたらちょうど今が過渡期なのかもしれないなあと感じた。期間で言えばたった6年で5枚も出しているわけだから、声優や役者も並行して活動しているシンガーとしては活動量が増している、推測することはできるだろう。
そのひとつの証拠として、2009年にかぜよみライブを行って以降「もっとライブをやりたい」という発言はラジオやインタビューなどでよく見られるようになったし、今年のYou can't touch me!ツアーでは「47都道府県全部回りたい」発言もあったようで、結果的に10公演ではあるが彼女自身としては最長のツアーを果たしている。震災の影響で中断期間もありながら、逆にそれを克服していく形でファイナルの仙台に繋げた今回のツアーは、シンガーとしての彼女の中でかなり実りあるものとなったのではないかと思われる。(*2)
今年はツアーを終えた後10月にアニメタイアップのシングルを2週連続リリースというキャンペーンも張りつつ、11月に発売となったDitsをひっさげて12月には1週間で5Daysというライブをやるという、15周年企画が終わったあとの彼女のほうがより一層活動量が増しているのではないかと感じる。
つまり、武道館ライブとベストアルバム「everywhere」発売から始まる15周年企画が今年の彼女を規定しているのではないかと考えることはできるだろう。その伏線として2009年のかぜよみツアーもあるかもしれない。いずれにせよ、たまたまこの期間を東京で生活していることをきっかけとして、そうした彼女の現場を見る機会に恵まれたのは個人的にラッキーだなあと思っている。
だから2009年のツアーも行きたかったが期末テスト勉強という名目で行かなかったあのころの俺の真面目さを今となっては少々後悔している。といっても来月の5Daysは節制期間という名目で行かなかったりはする(*3)んだけどね。行く人うらやましいですぜひ楽しんで下さい。あ、あと坂本真綾は関東でラジオ番組をいくつか持っているので、少し前までやっていたTBSラジオの「地図と手紙と恋の歌」とこの前500回を迎えた「ビタミンM」で彼女の肉声を聴く機会に恵まれている、という点もラッキーだと言える。
結果的にではあるかもしれないが、上京したあとに坂本真綾を聴くようになり、彼女を目の当たりにする機会にもめぐまれただけでなくて、坂本真綾を聴くということが自分の生活の一部になっていることに今は本当に幸福だなあと思っている。上京してよかったことのひとつに間違いなく挙げられるし、他の諸々の小さなことよりはよほど重要だったりもする。
その思いがいっそう強くなったのは「Dits」を聴いてからでもある。店着日である発売日の前日には手に入れていたが、じっくりちゃんと聴きたくて週末までは聴かなかったりもした。いくつかの曲は「ビタミンM」の番組内で聴いていはいたが、通して聴くとこれがまた静謐で素晴らしい。特にTr.7の「極夜」からTr.8の「誓い」への流れは鳥肌が立って、ただひたすら聴き入っていた。
それ以外で言えばOPでもある表題曲は彼女らしくもあり、らしくもないように思えた。後者についてだけ言うと、彼女の歌詞の語彙ではないような単語がいくつも並んでいることが大きな理由。「Sayonara Santa」は安定のまあや、という感じこそするが「ぼくときみ」ではなく「わたしとあなた」でずっと歌が続いていく様はまだまだ新鮮に感じる。表題曲が安定の「ぼくときみ」で続く歌詞なのもあって、Tr.1→Tr.2の流れは意外性があって面白かった。
Tr.3の全英詩曲である「Melt the snow in me」は本作のコンセプトである冬の残酷な冷たさ、という印象を受けた。歌詞はそこまで悲劇的ではないが、まあやが低音で無感情に歌い上げるときれいな残酷さというか、率直に冷たい印象を声だけで感じる。次のTr.4〜6までが明るい曲が続いているので、Tr.3の曲が前半にあるのはこのアルバムの構成の中で一番意外性というか、全英詞ということも手伝ってどこに挿入するかを苦心したんだろうな、と感じた。冬の残酷さや冷たさという点で似たテイストなのは「極夜」だろうか。ただ、こちらはどちらかというと悲しさや寂しさ、といったものを感じる。
Tr.4の「homemade Christmas」について言うと、ちょうどこのアルバムが出る少し前に結婚を発表した彼女自身について歌っているようにも思える歌詞が面白くて、江口亮の独特な音を使ったメロの中に31歳の坂本真綾の実存が生きているように思えた。メロのほうではパーカッションが妖しくて大人っぽさを演出しているしね。
「極夜」から「誓い」への流れについて詳しく書くと、Tr.6の「たとえばリンゴが手に落ちるように」が伏線になっているのかもしれないが、”時間が前に進むことによる喪失”といった流れになっているように思う。いつまでもそうあって欲しいと懇願するように(だがそうならないことも感じている)歌い上げる「極夜」と、タイトルが表すとおり終わりを迎える前のひとつの宣言である「誓い」では、声の力強さの違いがかなり印象的だ。「極夜」が静かにコーラスを響かせながら終わっていくのと、”僕はこのまま”を繰り返して激しく盛り上がっていく「誓い」がひと続きであるように思うのは、季節の変化に明確に言及していて、それも冬の終わりと春の訪れについての言及だからだろう。
冬が終わり春が来るのは、厳しい冬が終わり暖かい春が来るという意味では歓迎されがちである。ただ、ここはもしかしたら読み過ぎかもしれないが、日本の場合冬が終わり春がくると年度の変化を迎えるので、なんらかの別れと無関係にはいられない。学生時代はもちろん、仕事を始めてからも4月を新年度とする区切りは基本的に変わらないからね。
”生きている”と歌い上げる「極夜」から、”生きていく”と宣言する「誓い」への変化は、多くの人が余儀なくされるものでもある。ちょうど来年大学を卒業するので、そのころにこのアルバムを聴くと、この2曲の流れでノックアウトされそうな気配がむんむんとしているので、嬉しいような寂しいような感じがしている。
大学生になって本格的に聴くようになったまあやの歌で、大学生活も終わらせられる。まあ、来年から大学”院”生活が始まるのでめちゃくちゃ明確な区切りではないんだが、多くの同級生は就職をしてばらばらになることを考えたらそれなりの寂しさはある。
ただ、そうやって別々の道を選んだからこそ、「生きていく」決意をするいいきっかけなのかもしれない。まだまだ人生は長いのだから。何より、終わらない冬はないのだから。
*0 一番上に載せている初回版のジャケットは本当に素晴らしいなあ、と感じていて、クリスマスについて歌った曲がいくつかあるがゆえの合掌/祈りなのかなと思ったが、Tr.8の「誓い」を聴いたあとで見返すとまた印象的になる。あと、ネットでの評判のひとつとしてアマゾンのレビューがあるが、いまのところかなり好意的なレビューが多く読み応えもあった。
*1 2008年以降マクロスFの楽曲関連でコラボがあったり、ライブにもゲスト出演していたりするので厳密にポスト菅野時代とはいつなのか、と区切ることは難しいかもしれないが、便宜的に「夕凪LOOP」以前以後という分け方をこの文章ではしている。ちなみに一番最初に坂本真綾を知ったのはカードキャプターさくら3期OPの「プラチナ」です。記念碑的名曲ですね。
*2 今年の3月からスタートし、3.11による中断を迎えたものも6月に「You can't cathe me」ツアーを坂本真綾は無事完走した。この間彼女が何を思い、何をつづったのかは『坂本真綾 1st&Last 写真集 "You can't catch me" ドキュメント 2011.3.5-6.15 』に詳しい。
坂本真綾 1st&Last 写真集 "You can't catch me" ドキュメント 2011.3.5-6.15
*3 あくまで現時点なので気が変わるかもしれない。チケット代が高いのがネックなんだが、今でも若干悩んではいる。
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