8月は予想通りあっという間だった。9月もそれなりに速いだろうが、追い立てられる速さはたぶん8月のほうが圧倒的。期末テストが終わればすぐレポートが複数〆切りになり、急遽決定した一校目の出願が迫り、それが終わった2日後には既に帰省路という展開でした。
その後は西日本でやいのやいのです。たぶん本当の地元である小豆島にいた3日間がいちばん夏休みらしい時間だったんじゃないかな、と思う。
とはいえ、良い意味でなかなか密度が8月だった。終わってみたらもっとできたんじゃないかと思うが、まあこのへんが関の山なのだろう。
勉強すること以外に8月にしてみたかった主なことは次の通り
・東京の外に委ねてみることから何かを考える
・思考のフィルターをいったん外してみる
まず、ひとつめから。これはもう就活してたことから考えていたことだが、いつのまにか体とか思考回路とか興味関心が東京オリエンテッドになっていることに気づいていて、このままでいいんだろうかと考えていた。当然答えなどでない。生活や交友関係の基盤がずっと東京なんだからね。
だからネットがある時代でよかったなあと思う。そうでなければほんとうに東京なるものから外へ出て行くことはなかなかに難しい。ネットがあればまだ、見通すことはできる。でも、委ねることはできない。体は東京にあるから。このへんのどうしようもないアンバランスを、半月近く東京を離れてみることから何か考えてみたかった。
半月経ち、結果として何か明確な結論がでたわけじゃない。ただ、いくつものヒントを得られたのは確かだ。
途中新城カズマの『サマー/タイム/トラベラー』を再読したのもよかったのかもしれない。再読といっても3,4回目くらいだけど。去年も読んでレビューを書きました。

サマー/タイム/トラベラー (1) ハヤカワ文庫 JA (745)
クチコミを見る
主役は何人もいるのだが主人公の卓人と特異な友人であるコージンがとった選択肢がくっきり分かれていて面白かった。完全にネタバレになってしまうのであれだが、ぼくは地元(たぶん長野県)から大学進学のために上京し、様々な活動をやりつつ技術者になり海外にも行く。ただ、思いはいつも忘れられない夏の想い出とひとりの少女のもとにある。一方コージンは地元の信州大学に進学するが中退して、地元に根ざした活動を展開していく。ある意味プロ市民的にもなるが、らしさは失わない。
途中、「こんな街からどうして出ていかない?」という卓人のつぶやきがある。高校で東京にでていくこともできた彼が結局は地元に残っている。この時点では卓人も身の振り方について迷っているのだろうと思うが、物語の終わりが彼の決断を後押しする、ことになったんだろうなたぶん。詳しく書くとマジでネタバレなので要点はこのへんで。
この流れを読んでいて、俺はいまのところは卓人ルートなんだなあと思っている。卓人と違うのは少女の選択くらいかな。 俺の場合、俺だけが遠くに行ったからね。
このまま卓人ルートに進むのは難しくはないだろうと思う。でも、コージンルートもそれなりに魅力的だ。いい意味で何も変わっていないと思わせるだけの魅力を秘めたコージンならではなのかもしれないが、そういう生き方があっていい。
こうやって考えるのもひとつの「フィルター」を外すこと、なのかもしれない。東京にいるとたまに都会でしか生きていけないという人に出会うし、一方で地元だと絶対に地元を離れたくないという人がいる。そのどちらもない俺は逆に、選択のジレンマに陥っている。そんな感じ。
でもまあ、リベラルに考えるならば選べるという環境自体はラッキーなものだ。そもそも選べなかった人が膨大にいることを考えても、単純に自分自身の将来設計を考えても。どうにでもしていけるかもしれない、まだ今ならね。せいぜい21歳である。
東京オリエンテッドを脱ぎ捨てるのは選択の海へ委ねることだ。でもそれは東京にいたままではできないから東京を離れるこのタイミングでやっておきたかった。
勉強時間もそれなりに確保しないといけなかったので人と会って話す、ということは少なくとも香川にいた間はほとんどできなかった。ともすれば落ちてしまいがちなテンションを保てたのは、静かな田舎の港町という実家の居住環境の良さだろう。なんだかんだ田舎好きだなー俺、とか。いやでも退屈なんだろうけどね、なんだかんだ。
都会と田舎のどっちがいいとかではなく、単純に東京にいるとほとんどすべての発想が東京からスタートしてしまうことに違和感があったからだろう。たとえば地方自治というローカリティの強い勉強をしていてもアカデミックでは東京の地位が高いというのはなんだかこう、どうしうようもないんだろうけどもっとどうにかならんものかと考えていた。それ以外だと情報にしろ、就職先にしろ、なんでもかんでもを東京からスタートして東京とそれ以外(地方とか)を比べるのは疲れるのさ。
なので東京という都市部の生活というハードさにすり減って行く前に内面のほうがすり減っていくんじゃないかという危機感を抱えていた。東京を離れて解消できるかどうかは分からないが、betterというか、せめてnot worseにはなるだろうという希望くらいは持っている。
就活をしていたときもぼんやりと考えてはいたが、あのころはそのうち転職すればいいだろうという程度に片付けていた。今は少し違って、もっと自分が何に関わっていけるのか、それはどこでどういう風になのだろうかということを考えている。
先に書いてるけど結論がでるような話ではないしもっといえば働きながら考えていくのがベターなんだろうな、と思う。それでもたぶん、今の内に考えられることは考えておきたいという小さなエゴがあるんだろう。頭の中にずっとアノマリが残り続けるのはやっかいなものでして。
端的に言えばこんなところだ。東京以外でも全然生きていけるし、住み慣れたり人間関係も広がればそれなりに楽しみはあるだろう。でも東京での生活もそれなりに気に入ってしまっている。さあ、どうしたものかね。
9月の結果が何かを決めてくれると、個人的には一番楽なのかも知れない。それがいいのかどうかはあとで考えよう。決まらなかったらまた悩みを抱えることにはなるが、人生はどうせまだまだ続くのだからあまり追い込まずにもう一回フラットに考えられればいいな、と思っている。
そんな感じ。どうせまだまだ続くのだから、今よりはちょっとでもマシに生きられればいい。何かが劇的に変わるような大きな夢や希望をもつでもなく、絶望するでもない。自分の中にある何かを手がかりにして、ちょっとずつ前に進んでいくくらいだろう、俺にできることは。今の自分を変革してマッチョになろう、という思いはもう大分前に捨てた。
その結果として、いつかどこかで大切な時間と場所と、人にめぐりあえるようものなら、人生ラッキーだなあ、と思うことにする。
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関連記事→東京と非東京の差について
※次は(奈良集中講義編)につづくよてい。あくまで予定。
その後は西日本でやいのやいのです。たぶん本当の地元である小豆島にいた3日間がいちばん夏休みらしい時間だったんじゃないかな、と思う。
とはいえ、良い意味でなかなか密度が8月だった。終わってみたらもっとできたんじゃないかと思うが、まあこのへんが関の山なのだろう。
勉強すること以外に8月にしてみたかった主なことは次の通り
・東京の外に委ねてみることから何かを考える
・思考のフィルターをいったん外してみる
まず、ひとつめから。これはもう就活してたことから考えていたことだが、いつのまにか体とか思考回路とか興味関心が東京オリエンテッドになっていることに気づいていて、このままでいいんだろうかと考えていた。当然答えなどでない。生活や交友関係の基盤がずっと東京なんだからね。
だからネットがある時代でよかったなあと思う。そうでなければほんとうに東京なるものから外へ出て行くことはなかなかに難しい。ネットがあればまだ、見通すことはできる。でも、委ねることはできない。体は東京にあるから。このへんのどうしようもないアンバランスを、半月近く東京を離れてみることから何か考えてみたかった。
半月経ち、結果として何か明確な結論がでたわけじゃない。ただ、いくつものヒントを得られたのは確かだ。
途中新城カズマの『サマー/タイム/トラベラー』を再読したのもよかったのかもしれない。再読といっても3,4回目くらいだけど。去年も読んでレビューを書きました。

サマー/タイム/トラベラー (1) ハヤカワ文庫 JA (745)
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主役は何人もいるのだが主人公の卓人と特異な友人であるコージンがとった選択肢がくっきり分かれていて面白かった。完全にネタバレになってしまうのであれだが、ぼくは地元(たぶん長野県)から大学進学のために上京し、様々な活動をやりつつ技術者になり海外にも行く。ただ、思いはいつも忘れられない夏の想い出とひとりの少女のもとにある。一方コージンは地元の信州大学に進学するが中退して、地元に根ざした活動を展開していく。ある意味プロ市民的にもなるが、らしさは失わない。
途中、「こんな街からどうして出ていかない?」という卓人のつぶやきがある。高校で東京にでていくこともできた彼が結局は地元に残っている。この時点では卓人も身の振り方について迷っているのだろうと思うが、物語の終わりが彼の決断を後押しする、ことになったんだろうなたぶん。詳しく書くとマジでネタバレなので要点はこのへんで。
この流れを読んでいて、俺はいまのところは卓人ルートなんだなあと思っている。卓人と違うのは少女の選択くらいかな。 俺の場合、俺だけが遠くに行ったからね。
このまま卓人ルートに進むのは難しくはないだろうと思う。でも、コージンルートもそれなりに魅力的だ。いい意味で何も変わっていないと思わせるだけの魅力を秘めたコージンならではなのかもしれないが、そういう生き方があっていい。
こうやって考えるのもひとつの「フィルター」を外すこと、なのかもしれない。東京にいるとたまに都会でしか生きていけないという人に出会うし、一方で地元だと絶対に地元を離れたくないという人がいる。そのどちらもない俺は逆に、選択のジレンマに陥っている。そんな感じ。
でもまあ、リベラルに考えるならば選べるという環境自体はラッキーなものだ。そもそも選べなかった人が膨大にいることを考えても、単純に自分自身の将来設計を考えても。どうにでもしていけるかもしれない、まだ今ならね。せいぜい21歳である。
東京オリエンテッドを脱ぎ捨てるのは選択の海へ委ねることだ。でもそれは東京にいたままではできないから東京を離れるこのタイミングでやっておきたかった。
勉強時間もそれなりに確保しないといけなかったので人と会って話す、ということは少なくとも香川にいた間はほとんどできなかった。ともすれば落ちてしまいがちなテンションを保てたのは、静かな田舎の港町という実家の居住環境の良さだろう。なんだかんだ田舎好きだなー俺、とか。いやでも退屈なんだろうけどね、なんだかんだ。
都会と田舎のどっちがいいとかではなく、単純に東京にいるとほとんどすべての発想が東京からスタートしてしまうことに違和感があったからだろう。たとえば地方自治というローカリティの強い勉強をしていてもアカデミックでは東京の地位が高いというのはなんだかこう、どうしうようもないんだろうけどもっとどうにかならんものかと考えていた。それ以外だと情報にしろ、就職先にしろ、なんでもかんでもを東京からスタートして東京とそれ以外(地方とか)を比べるのは疲れるのさ。
なので東京という都市部の生活というハードさにすり減って行く前に内面のほうがすり減っていくんじゃないかという危機感を抱えていた。東京を離れて解消できるかどうかは分からないが、betterというか、せめてnot worseにはなるだろうという希望くらいは持っている。
就活をしていたときもぼんやりと考えてはいたが、あのころはそのうち転職すればいいだろうという程度に片付けていた。今は少し違って、もっと自分が何に関わっていけるのか、それはどこでどういう風になのだろうかということを考えている。
先に書いてるけど結論がでるような話ではないしもっといえば働きながら考えていくのがベターなんだろうな、と思う。それでもたぶん、今の内に考えられることは考えておきたいという小さなエゴがあるんだろう。頭の中にずっとアノマリが残り続けるのはやっかいなものでして。
端的に言えばこんなところだ。東京以外でも全然生きていけるし、住み慣れたり人間関係も広がればそれなりに楽しみはあるだろう。でも東京での生活もそれなりに気に入ってしまっている。さあ、どうしたものかね。
9月の結果が何かを決めてくれると、個人的には一番楽なのかも知れない。それがいいのかどうかはあとで考えよう。決まらなかったらまた悩みを抱えることにはなるが、人生はどうせまだまだ続くのだからあまり追い込まずにもう一回フラットに考えられればいいな、と思っている。
そんな感じ。どうせまだまだ続くのだから、今よりはちょっとでもマシに生きられればいい。何かが劇的に変わるような大きな夢や希望をもつでもなく、絶望するでもない。自分の中にある何かを手がかりにして、ちょっとずつ前に進んでいくくらいだろう、俺にできることは。今の自分を変革してマッチョになろう、という思いはもう大分前に捨てた。
その結果として、いつかどこかで大切な時間と場所と、人にめぐりあえるようものなら、人生ラッキーだなあ、と思うことにする。
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関連記事→東京と非東京の差について
※次は(奈良集中講義編)につづくよてい。あくまで予定。
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