ちょうど1年前にNHKがETV特集で「シリーズ 安保とその時代」という特集を4回もやっていて、うち特に3回目と4回目の安保改定に関する特集が非常に面白かった。3回目はオーソドックスに安保闘争を描きつつ、4回目で安保賛成派という東大のグループを特集することで、安保という問題がどのようにあの時代に受容されていたのかが理解できる。
60年にあれだけ安保改定騒動を起こしつつ、70年の安保改定ではすんなりおさまってしまうという。熱は確実に失われていく。そしてちょうどそのときは1968に象徴されるような大共闘時代真っ盛りだった。自分たちの問題には真剣だし、社会変革の熱もあったのかもしれないが、目の前の安保改定はほとんど話題にならなかった、というのが第4回放送の切り口だった。
この2つの回を見ていて、今の反(ないし脱)原発デモも同じようにしぼんでいく、ないし忘れられていくのかもしれないなあ、という危惧がある。これから数年単位でものを考えたら、そうなっていくことがむしろ自然にも思えてしまう。
ここ最近の印象でもネットでのバズりがだんだん弱くなってきているような印象がある。6日に東電前で素人のラン主催の4回目の大規模デモが行われたが、その次の日のお台場フジテレビ前の韓流反対デモのほうが、圧倒的にタイムリーな話題性を持っていた。
問題自体の大きさや、問題にすることの正当性は後者のデモは著しく薄く、偏っている。とはいえ量的な注目度では席巻していた。
あくまでネットの反応ではあるが、少なくとも素人の乱は3.11以降開催しているデモにおいて、ネット、特にソーシャルメディアや動画メディアを使って多くの人を巻き込んできた。ネットでバズることはかなりの意味合いがあったはずだ。
そもそも熱は一定程度にしか持続しないということを、安保闘争も、そのあとの大共闘時代の学生運動も示している。実際に何かが変わるより前に挫折して、離散していく。
ETV特集の第4回目が面白かったのはそうした構図を原則として扱いつつ、例外として若泉敬を持ち出す。沖縄返還の密約に若泉が関わったことが民主党政権の外交文書の分析でほぼ明らかになり、死の直前に出版した著書ではその経緯を詳細につづっている。同時に、安保とその時代、その後の日米関係への怒りも。若泉が沖縄でその死を迎えた、というのが非常に印象的だった。
つまり、若泉が憤怒したように、熱はいずれ失われるが、当然問題は温存されていく。日米関係が示しているのは、長く続いてしまったものは簡単には覆しようがないということだ。親米の自民党政権はまだしも、政権交代後の民主党政権の鳩山内閣が普天間問題であれほど迷走(炎上と言ってもいいかもしれない)し、挫折した経緯が示唆することは大きい。
今のまま何も変わらなければフクシマが沖縄のような存在になるのかもしれない。いや、フクシマに限らず原発を抱える場所すべてにおいて通じる問題といってもいいだろう。
沖縄がしてきたように、その土地に住むものが代々問題意識をリレーすることはできる。ただ、逆に言えばそれ以上のことが不可能だったのが戦後の沖縄のたどった歴史でもある。
この時代において、「社会を変える」ことはそもそも可能なのか、という大きくて、根本的な命題が立ち上がってくる。
※このお話はつづきます(たぶん
今日の一曲
uzさんの3rdアルバムのタイトルトラック。
すれ違いを重ねたあげく、今と未来の間に浮かんだままの可能性。つかみ取ることは簡単じゃない。
60年にあれだけ安保改定騒動を起こしつつ、70年の安保改定ではすんなりおさまってしまうという。熱は確実に失われていく。そしてちょうどそのときは1968に象徴されるような大共闘時代真っ盛りだった。自分たちの問題には真剣だし、社会変革の熱もあったのかもしれないが、目の前の安保改定はほとんど話題にならなかった、というのが第4回放送の切り口だった。
この2つの回を見ていて、今の反(ないし脱)原発デモも同じようにしぼんでいく、ないし忘れられていくのかもしれないなあ、という危惧がある。これから数年単位でものを考えたら、そうなっていくことがむしろ自然にも思えてしまう。
ここ最近の印象でもネットでのバズりがだんだん弱くなってきているような印象がある。6日に東電前で素人のラン主催の4回目の大規模デモが行われたが、その次の日のお台場フジテレビ前の韓流反対デモのほうが、圧倒的にタイムリーな話題性を持っていた。
問題自体の大きさや、問題にすることの正当性は後者のデモは著しく薄く、偏っている。とはいえ量的な注目度では席巻していた。
あくまでネットの反応ではあるが、少なくとも素人の乱は3.11以降開催しているデモにおいて、ネット、特にソーシャルメディアや動画メディアを使って多くの人を巻き込んできた。ネットでバズることはかなりの意味合いがあったはずだ。
そもそも熱は一定程度にしか持続しないということを、安保闘争も、そのあとの大共闘時代の学生運動も示している。実際に何かが変わるより前に挫折して、離散していく。
ETV特集の第4回目が面白かったのはそうした構図を原則として扱いつつ、例外として若泉敬を持ち出す。沖縄返還の密約に若泉が関わったことが民主党政権の外交文書の分析でほぼ明らかになり、死の直前に出版した著書ではその経緯を詳細につづっている。同時に、安保とその時代、その後の日米関係への怒りも。若泉が沖縄でその死を迎えた、というのが非常に印象的だった。
つまり、若泉が憤怒したように、熱はいずれ失われるが、当然問題は温存されていく。日米関係が示しているのは、長く続いてしまったものは簡単には覆しようがないということだ。親米の自民党政権はまだしも、政権交代後の民主党政権の鳩山内閣が普天間問題であれほど迷走(炎上と言ってもいいかもしれない)し、挫折した経緯が示唆することは大きい。
今のまま何も変わらなければフクシマが沖縄のような存在になるのかもしれない。いや、フクシマに限らず原発を抱える場所すべてにおいて通じる問題といってもいいだろう。
沖縄がしてきたように、その土地に住むものが代々問題意識をリレーすることはできる。ただ、逆に言えばそれ以上のことが不可能だったのが戦後の沖縄のたどった歴史でもある。
この時代において、「社会を変える」ことはそもそも可能なのか、という大きくて、根本的な命題が立ち上がってくる。
※このお話はつづきます(たぶん
今日の一曲
uzさんの3rdアルバムのタイトルトラック。
すれ違いを重ねたあげく、今と未来の間に浮かんだままの可能性。つかみ取ることは簡単じゃない。
コメント